ブログに下書きを書かずに、
電話をすればよかったのに。
電話が繋がらなかったら
会いに行けばよかったのに。
ブログの下書きには、
理解できないことを綴ってある。
エゴと悪口に値する物。
私がなぜ書いたのか。
下書きのままにして置けたのか。
誰にもそれを知らせず、語らずにいられたのか。
居なくなって読み返すと、そう言えばなぜブログに書いていたのか
下書きに残ったまま。
言葉に魅せられてもつたわっていないのだ。
私の一方的な考えは何も生まれてはいないのだ。
語ってはいけないのだ、と思う。
後悔ってこんなことだと思い知る。
「後悔などない」といつも口癖になっていた私にそんな言葉は存在しないと教えてくれたのだ。
「後悔などない」とは、自分自身への甘えた納得なんだ。
思うままにいたら、後悔などないと思うのは、自分自身への甘えたエゴだと。
誰もがそれぞれの価値観は違うはずだが、生きている価値は誰もがあるはず。
このブログは下書きではなく、UPします。
カラスの鳴き声だけ。
いた。
見つけた。
飛んで行った。