珠洲市


 

この度、大社町で


〝能登支援!古代出雲王国 紙芝居”


をさせていただきました。

 

お越しいただいた


みなさまからの暖かい支援金と


雲南市加茂町〝たのや”〝bistroオーブ”さん


におかせていただいた募金箱

 

出雲市の農家さんから


いただいたたくさんの野菜を


無事に能登町に届けることができました。

 


私は親戚だと思っていいる(勝手に笑)


北陸のみなさんに


島根県民も応援している気持ちも一緒にお伝えしました。


 

出雲から神様がきたとおばあちゃんからひたすら拝まれました🤣

 


能登町役場


 

能登町や、被害の大きい珠洲市を案内していただきました。


被災した当時とまったくかわってない状況に


がっかりしたと同時に、怒りさえ湧いてきました。


「三ヶ月たってまだこれなの?」


自分の想像していた三ヶ月後の状況は


ボランティアの方もたくさんいて


大分状況は変わっているものと思っていました。





子どもたちが汗を流し


野球の練習を楽しみにして


頑張っていたグラウンドも津波の後そのまんまで


流木やいろんな物が散乱していました。





地震と津波のダブル被害のエリアは


ゴーストタウンになってしまっていたし


世紀末のゲームの世界のように感じられました。





いまだ珠洲市では9割水も出ていなくて


トイレも普通の状態ではないし


支援のシャワーなどでお風呂に入られていました。



 


通りかかった誰もいなくなった海岸沿いで


一人ワカメを干している


おばあちゃんを発見したので


たくさんの靴下や野菜やドライフルーツなど


手渡ししたところ大変喜ばれて


「洗濯できないから今履いている靴下も3日目なんですよ。」


とおっしゃっていました。


笑って受け取っていただきましたが、胸が痛くなります。

 



道路もデコボコどころか裂けていたり


陥落していたり斜めになっていたりで


マンホールは何十センチも隆起しているし


いつパンクするんだろう・・・と


不安になる道だらけ。




町全体の建物や電柱など傾いているので


平行感覚もおかしくなり酔いそうになります。




隆起して何メートルか、今までなかった陸が上がってきていました

 





震災当時1ヶ月くらいは


中学校の体育館に900人の人々が避難していて


それはそれは大変だったそうです。




体育館はぎゅうぎゅう詰めの状態で


特にトイレが地獄だったそうです。


水は流れないけどトイレに行くしかないので


糞尿も溢れて凄いことになったそうです。



そこで青年団の皆さんが


24時間体制でプールからバケツで水を汲み


トイレに流し続けるという事をしてくれたそうです。



聞くだけで、悲惨な状態だったのがわかり、泣きそうです。


みなさんほんとうによく耐えられて、頑張っていらっしゃいました。





そんな中でも


道路を何とか通れるように簡易的ですがなおしてあったり


仮設住宅が建ち始めていました。




 

毎日当たり前にしてきた


食べること、トイレやお風呂、寝ること


こんな普通の事をするのに一日中かかると教えていただきました。



炊き出しのところに取りにいかないと


食べ物はないし


今までのように家の中にトイレがあって


すぐいける状況ではないし


シャワー支援の所まで


なんとかしていかないといけないし。




今後のことのために役場に申請にいかないといけません。


自分の家は何割壊れているのか、3割?半壊、全壊。


仮設住宅の申し込み、抽選


抽選に外れたらどこに住めばいいのか



そんな方々で役場の駐車場はごった返しているそうです。

 



今の自分の普通の生活が


どれほどありがたいものなのかが身に染みてわかる能登訪問でした。




 

そして、”古代出雲王国 北陸バージョン 紙芝居”を読ませていただきました。



現在は出雲というと


島根県のイメージだと思いますが


古代は北陸は出雲だったんですよ


というお話をしてから始めました。




そして、びっくりしたことが!!



なんと、出雲弁でもコアな方言が


能登と一緒だったのです!



「ちょっこし」=少し

「よばれた」=(食べ物など)頂いた



やっぱりここは出雲だったんだ~!!


とみんなでびっくり&嬉しい☺️

 

 




そして、私の一番のお仕事


須須神社で光を降ろしてきました




北陸の皆さんが今までの生活を早く取り戻して


愛と光に満ち溢れた毎日になるようお祈りしてきました。




今回の企画は


古代出雲探求所の「ミラクル波動探求部」


のみんなが動いてくれて、惜しみなく協力してくれました。


そんな部員のみんなのおかげで開催することができました。

 



被災地の皆さんはできることをやっていくしかないのですが、何年かかるのだろう・・・。



私にできることは今後もやっていきたいなとあらためて思いました。



 

 

 

 

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