先週、銀行と国民年金基金へ書類を郵送しました。


その年金基金から手続きにはもう少しお時間をいただきますのメモと共に戸籍謄本が返却されてきたので、企業年金へ戸籍謄本と共に書類を郵送。


少しずつ手続きも前に進んでいます。



前回、母が生まれてから亡くなるまでの全戸籍を取ったので、改めて母の流れを眺めていました。


あれ?話が違う?


私の祖母の事を、

あの人はね、庄屋の跡取り娘で、気が強くて、1人目の旦那を追い出して、再婚したの。

父(私の祖父)は優しいから。


と何度も言ってたのに、どこにもそんな跡ないよ?

お見合いでも断った話を大きくした?


それとも

昔の事だから戸籍を消す事ができたとか?


よくわからないです。


それと、母の祖母は天保13年生まれとありました、教科書の世界だわ。


そして死亡診断書もじっくり見たら

発病から死亡までの期間とあり、

そこに4日との記載。



特養では母の死因が誤飲性肺炎とは知らなかったと言ってましたが、この記載があるのだからそんな事ないよね、きっと。


月曜日に亡くなっているから、発病は金曜日、つまりほとんど週末、スタッフの少ない週末に吸引もしてくれていたみたいですが。


世の中わからない事だらけです。


認知症を発症した母にはもっとわからない事だらけだったんだろうなぁ。

忘れる事を恐れすぎてはいけないけれど。


母が自分で選んで貼ったアルバムの母は皆笑っています。


ただ、小中学生の時の複数の集合写真、実は母がどれだかわからない、皆笑ってないし、小さいし。



中学を卒業し、集団就職で東京へ来てからの母は、生き生きとしていた感じ?



あ、でも、履歴書には行ってない高校の名前を書いていました。


これは母の生前に辻褄が合わないのに気がついて聞いたら、わかりゃしないからいいのって言ってました。

ね、やっぱり何が本当で嘘かはわからない。


でもわかる事、母はおしゃれ、独身の頃は特に。

これはもう確実に、おしゃれにお金を注ぎ込んで、貯金しなかったタイプ笑

自分の見せ方がわかっていたし、着ているものもね、周りと違う。


残念なことに娘は母のファッションはあまり覚えていない、毎月パーマ当てていた事くらいかな?

タバコをいつも吸っていたから臭いし、もっと若いお母さんが周りには沢山いて羨ましかったし。

娘がそう思っていた事はきっとご不満だったろうなぁとは思う。


亡くなった母は認知症になる前の母?

それとも、不穏な母?

いやいや、菩薩の様な母?


お線香上げて、話しかけてはみるけれど、わからんなぁ、返事ないし。


そろそろお墓の準備をしないといけないなぁと思っています。