しばらく、ブログ書く事ができませんでした。


この数ヶ月、感情との葛藤に負けていたから…


6月に主人が逝去しました。

7月に娘が長男を産みました。

(私にとっては、初孫です。)


今回は、主人の事を書きたいと思います。

昨日、百カ日法要が終わり、まだ納骨はしていませんが、一応、一区切りが出来たと思ってます。


主人は、慢性腎臓病を患っていて、

生活習慣や食事療法で、なるべく人口透析にならないよう頑張ってきまた。


しかし、昨年4月にコロナに感染し、まだ余裕があった、人口透析を受けないと駄目になってしました。


これは、生きる為に必要な治療です。


主人は70歳でしたが、まだ現役で仕事してました。

透析は週3回。これは絶対です。

仕事の方は、会社のはからいで、

週3日で働けるようになりました。

主人にとっては、仕事は生きがい。

仕事があったから、透析も受けられたんだと思います。


それが、昨年の10月に、

定期検査で、大腸癌が発覚。

複数のポリープがあったようですが、

その内の一つが怪しかったようで、

内視鏡で取るか、開腹手術をして完全に取るかの選択で、主人は迷わず開腹手術を選択しました。

再発防止の為です。

場所は横行結腸にあった為、人口肛門にはならなくて良かったです。


今年1月に残りのポリープを内視鏡で、全切除。

幸い、早期だったので、転移もなく根治したと言われ、年1回の経過観察でいいということになったのに…


4月の血液検査の結果が良くなく、

至急、再検査。

本人は、全然自覚症状もなく、

とりあえず、総合医療センターで検査を受けたら、とんでもない事になっていました。


一番最初に受けた検査が、PET検査。

画像を見て、茫然…

これは何?誰の画像?

本人は肩の痛みを訴えてただけなのに、全身に癌がありました。

一番悪かったのが、肝臓。

勿論、肩の骨膜にもありました。

でも、肩の痛みって誰でもありますよね。それが、癌痛だなんて信じられませんでした。


複数の癌の中から、原発癌を見つけないと治療できません。

肝臓の細胞を取って病理検査をしないと病名がわからず、それって結構時間がかかるそうです。

でも、どこの癌か確定してもらわないと、治療出来ないし…

この時も、まだ普通に生活して、仕事にも行ってたんですよ。


とにかく、早く原発癌を見つける為に、不確定ではありますが、当たりをつけて、腫瘍マーカーの検査を受けました。

すると、肺がんの疑いが強くなり、

それを聞いた主人は、急に弱くなりました。私に隠してた事があったんです。

それから急に病状が悪くなり、

日一日と人が変わったように弱っていきました。


やはり病名ははっきりさせようと

5月23日に入院して、検査を受け、

26日に退院。

本当は退院出来る状態ではなかったんですが、病院に入院してると、私は一切会うことが出来ず、多分もう時間がなかったんですね。

主人も私も残された時間は聞かず、

一日一日を大事に過ごそうって、

それぞれ心の中で決めてました


主人は、私に普通に生活したいと言いました。いつもと同じように普通に接して欲しいと。

実際、もう普通の身体ではなかったんですが、私は只側に寄り添い、見守るだけ。日々夜中は生存確認をして、

そして、いつお迎えが来てもいいように、顔と声、会話をしっかり心に刻むように看てました。


そんな状態でも、30日、仕事に行くと

言い、朝から言い合いして阻止したんですが、振り切って出て行きました。

そんな力、どこにあるのか、

やっぱり、私より仕事が優先何だなぁって、悲しくなりました。


案の定、会社に辿り着く事なく、

病院ヘ救急搬送になりました。

当然、即入院です。

そしたら、もう会うことができません。


朝、喧嘩別れしたことが、悔やまれてなりません。

病室に入る前に会わせてもらいました。


そこで会話したのが、

私の顔見るなり

🧑‍🦳「会社に連絡しないと」

🧕「私の方からしておくね」

🧑‍🦳「仕事辞めるから…もう辞める」

🧕「わかった。良く頑張ったね」

  「お疲れ様でした」

🧑‍🦳「悪かったな」


これが最後の会話でした。


病室に入るともう姿を見る事も出来ず、コロナってほんと残酷です。


随分長い話しになったので、

続きは又、書きます。