人間生まれたからには、最後があります。

それが長いのか、短いのか。そして、その最後に終わり時は、

病気なのか、永眠なのか、

はたまた、不慮の事故なのか…それは、全然わからない。

だから、人間、毎日過ごして行けるのだと思いますが、

若い時は、全く考える暇がないくらい、先々のことを考えなくてはいけず、

次は…次は…と考えなくてはいけず、選択の連続です。

が、50にもなると、もう、やる事はやってきて、体が動かなくならないように

気をつける毎日に変わります。

この歳で、骨折したら、あっという間に筋肉が衰え歩けなくなりますから。

それから認知症。これほど怖いものはない。

早くお薬できないかと切に願う。


 先日ドラマを観て、主人公が、

『自分の最期はどんな最期なんだろう』というセリフがありました。

いろんな人の最期を見てきた主人公の言葉。

ちょっと考えさせられました。

お正月にお義母さんが、本家のおばさんと、まさに自分の最期の話をしていました。

『私は、病院で、延命治療されて、生き延びるの嫌だわ〜。もし自分が、そうなった時は、そんなのいらないからね』

と言っていましたが、本家のおばさんの娘さんが、

『おばさん、でもね、本人はそういうかもしれないけど、子供の立場からしたら、1日でも生きていて欲しいって

思うものだよ〜。すぐに、そのばでしなくていいですと言えないよ。親だもの』と言っていました。

そうか…そういう立場の考えもあるか…

私は、お義母さんと同じ考えだけど…

そんな状態で、病院に歯込まれる前に、ころっとあの世に行きたいなぁ〜

苦しまずに、あっという間に終わってたってならないかしら。

子供達には、後始末大変になって、迷惑かけるかもしれないけど…

何せ、私の荷物たくさんあるから…

でも、彩には、ママが死んだら、彩が使えるものは、彩が使っていいからね。

あとは、売るでも、捨てるでもなんでもしていいから。

本人死んでいるんだから、彩が何しようと文句言わないから。

とは言ってあります。

ただ、一つだけわがままなお願いとすれば、婆ちゃんと一緒にお墓入りたいから、

同じお墓に入れてね。それだけは、約束してと言ってます。


それとも…今の世の中、怪しいことばかり起きているから…

どういう最期になるか…わかりませんね。