Men's Club 1999年4月号Get Girlコーナーより


国分佐智子さんのスピルチュアルな体験は、

けっこう生々しいものがあります。

天使が見えたり、肩に乗っていたりするんです

から・・・。


御覧の通りのカワイコちゃん時代には、天使が

いようがいまいが、実際に見えていようがいまい

が、問題ありませんでした。美少女と天使の組み

合わせ自体が「待ってました!」って感じでツボを

得ていて、男心はたまたオタク心をそそったので

すから。(古くは酒井法子さんの「のりピー語」、最

近では小倉ゆう子さんの「こりん星」発言ご参照)

カワイイ国分佐智子さんを見たいだけで、天使を

見ようなんて気持ちはさらさらない男どもにとって

は、国分佐智子さんに媚を売りおべっかを使い、

「あわよくば」と「付け入る隙」に過ぎません。


これをたとえれば、いかさま仕立て屋が「この服は

頭が悪い人間には見えもせず感じることもできま

せんが、賢い人間にはこの世のものとは思えぬ程

美しく威厳ある服に見えます」と悪巧みを仕掛け、

国分佐智子さんを裸にしてしまおうという企みだっ

たのです!(ちょっと、回りくどくて余計なことでした。

スンマセン)



relax 1999年1月号 A Girl Like You カリスマ・

ガールのコーナーより


しかも、国分佐智子さんの受け答えもよくない。

ストレートに「いつも私の右肩にいて」「2年前か

ら見えるようになって・・・ちっちゃい赤ちゃん天

使なの。ずっと赤ちゃん。」「右のが、愛のキュー

ピッドで、左のがわたしを守ってくれる天使」「も

ともと天使が好きで、いろんな天使の本を読む

ようになって、見えるって信じてたら見えるよう

になった」「ひらめきとか、こうすればいいんだっ

て思うことは、天使が伝えてくれることなの」など

と答えておられます。

世慣れていなくて、発言がどのように受け取ら

れるか、どのように書かれ、どのように扱われ

るか全然考えていません。性格が素直なんで

す。この頃の国分佐智子さんには、計算なんて

ありません。

また、所詮二十歳を少し過ぎたばかりの女の

子に、自分の中に起きていることを正確に言葉

に直して伝えること自体無理というものでしょう。


伝えるべきことは、未だ言葉に直っていないこと

なのに、世間の人は、既に言葉になっていてわざ

わざ伝える必要がなくなっていることだけ口にす

ることを賢いといい、常識があると賞賛するのです。




普通に考えれば、ご本人にとって、今更蒸し返

して欲しくない話でしょう。しかも、国分佐智子

さんの今のお気に入りは、天使ではなく象なん

です。お部屋は、トネリコとドラセラと象グッズで

溢れているみたいです。(今年の夏に配布された

フリーペーパーでの発言)

でも、私が敢えて昔の国分佐智子さんの言葉を

取り上げたのは、天使は本当にいて、国分佐智子

さんには本当に天使が見えていたと考えているか

らです。そして、天使体験は国分佐智子さんの今

に、しっかりとつながっていると考えているからです。


relax 1999年1月号 A Girl Like You カリスマ・

ガールのコーナーより



そうした天使についての「ぶっとび発言」を繰り

返されていた頃、国分佐智子さんは既に先日

ご紹介した「グランドファーザー」をお読みにな

り感銘を受けておられます。「グランドファーザ

ー」の精神性の高さは、読んだものでなければ

分かりません。また、その精神性の高さを受け

入れるにも、読み手自身にある程度の精神性の

高さがなければならないのです。まるで裸の王様

の透明な服みたいな話ですが・・・。

「グランドファーザー」の中では、精霊体験体験

が語られています。精霊を見、感じることができ

る能力を持った主人公に、精霊は語りかけ導き、

成長を促していきます。その結果、様々な能力を

開発させ、そして精神と自然界との一体化、人間

と自然との共生の仕方を学び、実現していくので

す。しかも、それらは具体的な体験と結果という

形をとって現れます。抽象化されてしまい、概念が

一人歩きする話ではないのです。


その精神性が極めて高い、前衛的とすら評する

ことができる世界を、わずか二十歳過ぎの女性

が受け入れ「ものにしていた」のです。当時、国

分佐智子さんについては、テレビで見る「きりりと

した外見」と異なる「ぽわ~ん」としたイメージが

よく語られていますが、実はそのイメージともか

け離れた、精神世界についての探求が彼女の

中で始まっていたのです。




ただ、私には天使は見えません。また、天使が

いることを実感しているわけでもありません。

にもかかわらず、天使は実際にいて、その姿を

国分佐智子さんは見ていたと判断するのは、

無意識の世界の存在や人間の知覚が極めて

不完全なものに過ぎないことを理解しているか

らです。

見える人には見えて、確かに実在するものが、

見えない人には全く見えず、存在しないことが

ある・・・。仮に後者が圧倒的多数だとしても、

そのことが正しいとは限らない。

環境破壊も、あるいは日本の人口の破滅的な

減少傾向も、多数人の「正しい」選択が集まった

結果であることを考えれば、少しは理解していた

だけるかもしれません。



大和書房刊 養老猛、阿川佐和子共著

「男(オス)女(メス)の怪」



ところで、今の国分佐智子さんはご自身のスピ

リチュアルな世界を、既にある程度「理論化」し

ておられるかも知れません。

というのは、先日クラッシー9月号のBooksの

コーナーで、この「男(オス)女(メス)の怪」を紹

介されながら、「バカの壁」「超バカの壁」の壁と

いった脳解剖学者養老猛先生の著作を愛読され

ているとおっしゃっていたからです。


養老猛先生は、脳解剖学者として、我々の脳の

いい加減さを熟知しておられ、我々が客観的だと

思い込んでいる世界認識が、実は我々のいい加

減な脳がいい加減な仕組みで作り上げたいい加

減なイメージに過ぎないことを暴露されているの

です。養老先生に言わせれば、世界が原子や分子

から成り立っていることだって、それは脳が勝手に

そうだと決め付けているだけに過ぎないのです。

つまり、脳解剖学者の目からすれば、我々が目で

見たものが「見える=存在する。見えないものは

存在しない。見えたままが客観的な姿だ。」という

こと自体がいかがわしい話でしかないのです。

むしろ大切なのは感じること、感じたことに適切に

対応できることであり、他者との間で共感できるこ

とだと、養老先生はおっしゃっています。


だとすれば、目で見えることにこだわって過ち、不幸

でいる我々よりも、自分にとって大切なこと、自分を

幸福に導いてくれることを、天使が教えてくれ、その

天使の教えに素直に従って自分の生きるべき道を

歩んでいる国分佐智子さんの方が、はるかに優れて

いるといえるのです。天使が単なるイメージなのか、

それとも本当に実在するかは大した問題ではないの

です。

いずれにせよ、現実あるいは真実なんて、いい加減な

脳しか持たない人間達がそれぞれ勝手に作っている

思い込みでしかないのですから。


大切なのは、感じること、そしてその感じたままに

調和を求めてつながることなのです。
それは、改めてLove & Peaceと言うことができるのです。