“お”『幼馴染』


 私には、物心が付き始めた頃からずっと一緒にいる、悠という男の子がいた。
「ごちそうさま~。しっかし、まさか高校までお前と一緒だとは思わなかったよな」
 私の自宅のダイニングルームでお茶を飲みながら悠が言った。
「そうだね。私もびっくりしたよ」
 今日は私たちの母親二人が出かけてしまったため、お昼は私が用意するはめになってしまった。こういう事は珍しくはないのだけれど、最近になって、ふと考えることがある。私たちって、いつまでこうして一緒に過ごすのだろう。今はこうやってお互いの家に気軽に出入りをするような仲だけれど、いつかはしなくなってしまう日が来るのだろうか。
 そんなの、私は――。
 私は食器を片づけるために立ち上がった。
「あ、俺も手伝うからよ」
 そう言って、悠も食器に手を伸ばした。
「あ、いいよ。二人分しかないし、ゆっくり座っててよ」
「いや、やる。食うだけじゃ悪いしな」
 彼が食器を持ってキッチンへと歩いていく。
「洗っちまおうぜ。二人でやれば早いだろ。俺が洗うから、お前は拭いてくれよ」
「うん、ありがとう」
 これも、特別に珍しい事ではなかった。たまにこうして、後片づけを手伝ってくれる事がある。彼は皿洗いを始めると、自分の手元を見たまま口を開いた。
「なあ、俺たちって、何なんだろうな」
「え? お、幼馴染……」
 彼の突然の言葉に、私は少し戸惑いぎみで返した。
「お前の中では、俺はただの幼馴染ってだけか?」
「ど、どうしたの? 急にそんなこと聞くなんて」
 悠が手に付いた泡を洗い流すと、水を止めてこちらに向き直った。私を映した彼の瞳はとても真剣で、私もつられて彼に向き直る。
「いつか、話そうと思ってた事がある」
「何?」
 彼は私から少し目をそらして考えるような表情をしてから、再び私を見据えて言った。
「俺たち……、いつまで一緒に居るんだ?」
 穏やかだけれど硬い声。
「え……」
 それは私が時々思っていた事。まさか、自分が答える側になるとは思ってもみなかった。
「どちらかが、離れたくなるまで……かな?」
「じゃあ、俺たちがこの先ずっと、離れたいと思わなかったら?」
「っ……それは……」
 答えを探そうと、私の視線が彼からそれる。すると悠が私の両腕を優しく引いた。一歩、私の足が彼へと近付く。
「悠……?」
 視線を戻すと、目の前には彼の真摯な眼差しがあった。一瞬にして私の顔に熱が集まる。鼓動が乱れて、どうしたらいいのか分からなくなった。
「つ……、」
「つ?」
 私が悠に訊き返す。
「つ、付き合わないか? 俺たち……」
「っ……!?」
 聞き間違いかと、私は軽く目を見開き、彼の顔を凝視してしまった。彼の視線が私から床へとすべる。
「……」
「……なんとか言えよ」
 その声は、静かな部屋に優しく響いた。
「え、あ……、」
 私が答えられずにいると、悠は掴んでいた私の腕を自分の方へと引き寄せた。そしてそのまま、彼の腕が私の背中へとまわされる。力強く引っ張られたわけではないのに、私の足は彼の方へと動いていた。
「言葉が難しいなら態度で示してくれよ。嫌なら、俺をこの家から今すぐに追い出してくれ」
 耳元で空気が震える。その声音からは、もう後戻りは出来ないだろうという不安が、痛いほどに伝わってきた。
「……ちゃんと言葉で伝えるよ。私、悠と居るときが一番楽しい。だから、これからも一緒に居たい」
 私も彼の背中に腕をまわした。すると次の瞬間、今度は強い力で体を引き離された。それでも掴まれた腕は私から離れない。
「サンキューな」
 悠が私を見つめる。彼の澄んだ瞳がゆっくりと近付いてくるのを感じ、私は高鳴る鼓動を抑えられないまま瞳を閉じた。

*了*