昔の私を知る人はパワー任せのオカリナを酷く否定した時期があるのを知っています。
(とある奏者のせいなんですけどね。今はあえてニュートラル姿勢で「良い子」。そんな以前のトゲのある雰囲気も封印しており人間が柔らかくなったという声もあるんですが、根っこは変わってません。)
そんな私がフォルテ管を購入した時の周りの反応ときたら、そんな強いオカリナ吹けるの?みたいな反応で、それは私の表の部分しか見てない人。
しっかりとした目的あって強い息を否定していました。
で、今は弱息をほとんど使いません。どうしたよおいと思った人もいることでしょう。
「もっと鳴るオカリナ使ったほうがいいよー」という有難い⁉️言葉が多く、ちょっと聞くのもウンザリきていたのもあり、もーやーめた!って放り投げた経緯があります。
他人の言葉、めんどくさいこと大嫌いなんですね。
それと時期を同じくして、私の音で眠れなくなったと宣うめんどくさい声😂も現れはしましたが、、
(アンサンブル熊猫庵時代の相方😂今も大親友ですが)
新旧で記念撮影も今回しましたよ。
出していいのかな😂写真。
でも、、、そのめんどくさいことに逆方向に引き戻す存在が現れてもやもや
それはパワーに振ってる人が嫌いな方。
皮肉にも今の相方の師匠💦
昔の私を見てるようでイライラモヤモヤするんですよ。
「わかっとるわい!言いたいこと」と言いたいのを口チャックして今回だけちょっと実験的に戻ってみた。おっしゃること再び出来るのか?
結果、、、おい、中途半端やん、、と落ち込む。
あれだけ追い込んだ弱息、どうしたおい?
と自分にツッコミたくなる。
今後、並行して両極端な価値観を併用することになる。
もー、恨むわぁ、こんなめんどくさいこと引き戻してさ、、、プンプン、、、でも悪い気はしない。
悔しいから絶対認めさせてやるぅ、、、
などと負けん気が久々に起きてしまった。
弱息と言いましたけど、厳密に言うと弱息ではありません。
パワーを乗せないという意味です。
細かいことは難しいのですが、、、