医師や看護師さんが

「意識は無くても

耳は聞こえていますから

話しかけてあげて下さい。」



というので私達は

「お母さん、お母さん」と

何度も呼んでみた。




わたしは

「お母さん元気になって

早くお家に帰ろう」

と話したと思う。




もうすぐ母の誕生日




お正月にはたらば蟹を食べたい

とチラシにマルをつけて

わたしに見せていました。



その2週間前に母の78回目の

誕生日がくる




「お母さんの誕生日には

たらば蟹を用意するから

家でゆっくりお祝いしよう」





そんな話しをしたら

母の口から「ぷっぷっ」

という音がしなくなっていた。





呼吸も脈も安定してきた。






医師が様子を見に来た時

「家族の力はすごいね

お母さん落ち着いてきている。」





妹は東京の姪と甥に連絡をした。

仕事中だったが

それぞれの職場が理解を示してくれて





夕方の飛行機で2人一緒に

帰れる事になった。





わたしが千歳空港へ迎えに行き

そのアシで息子を連れて

また病院へ戻ることになり





息子に連絡をしたら

わたしが危篤状態だと認めて

いないせいか






息子にその事態が伝わらず

急に休んだら迷惑かけるからと

バイトに行こうとしていた。






姪や甥も東京からこちらに

向かっているから

わたしもすぐ病院に戻って

今夜から泊まり込みすると

伝えると






理解しないながらも

行かなくちゃいけないかな

と思った様子だった。






しばらくすると

先程連絡した母のお姉さんが

息子さん(わたしからすると

イトコ)に連れられて

母に会いに来てくれた。





わたしはこのお姉さんに

ショックを与えてしまうのではと

最近の母の様子を

伝えていなかった。




母は8人兄妹の末っ子で

もう亡くなった人が多く

残されたのは母とお姉さん

だけだった。




母はいつもこのお姉さんを

大事に思い

どこか旅行に行く時も

お姉さんも誘いたいと

よく言った。




そんな仲良し姉妹だったが

白血病がわかってから

心配かけるからと母は連絡

出来ないと言っていた。






それをわたしも守っていたが

突然の連絡で逆にショックを

与えてしまうかもと心配していた。