入院の前日2020年11月16日
母の意識は大晦日に飛んで



東京に居る甥っ子と姪っ子が
家に来て年越しを
することになっていた



それは前夜
姪っ子がビデオ通話で
年末には帰るから年越し
しようねと話したのが
そうさせたのかもしれない。


みんな帰ってきたねと
満足そうな母の顔




だけどこの夜
姪っ子がまたビデオ通話で
励ましの言葉をかけても



母の意識で姪っ子が
認識出来ず



わたしに何度も
「この娘は誰?」と
聞くもんだから


姪っ子もショックを受けて
早々に電話が切れた





この僅かひと月前に
姪っ子と甥っ子が
休みが取れたと帰ってきて




姪っ子のサプライズで
みんなを洞爺湖温泉♨️に
招待してくれた



しかし当日の朝わたしは
発熱で38度あった。



母は最近貧血もひどくなったから
私と一緒に留守番をするという



それでは姪っ子が母さんに
一番喜んでもらいたくて
手配したのにあまりにも
申し訳ないと



私はこのコロナ渦で
あまり大きな声で言えないが



熱冷ましを飲んで出発した
姪っ子の気持ちを慮る以前に



なぜかどうしても
行かなくてはいけない
行かなくちゃ!という気持ちに
せき立てられた。



結果良かった。


ビュッフェが大好きな母は
食べられもしないのに
たくさん取ってしまっては



私達に配り
後片付けをさせる
クセがあったが




この時は
姪っ子が車椅子を借り
母につきっきりで




母の好物を
皿に乗せきれないくらいに
いっぱい取って



母もいつもより食欲もあり
総勢7名で楽しく賑やかに
食事を楽しんだあと



部屋では花火鑑賞も出来た



その時花火をビデオで撮って
いたら母が話しかけてきた。



これが生前最後の母の肉声の
記録になってしまった。





花火がなかったら
ビデオも撮らなかったと思う



楽しかった温泉旅行は
母と最後に行った
思い出となった。




母もとても億劫がっていたのに
帰って来てからも
何度も「楽しかった」と
思い返していた。




次は沖縄に行きたいね
なんて話していたのに
その夢は叶わなかった



やはり人生は今を楽しむ
事が大事なのだと思った。


続きはまた