なんだか私が最近もやもやとしていたことを友人へメールしたら、
曽野綾子さんのエッセイを引用して送ってくれた。
悪と不純に対する感覚について書かれている。
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「人間の中には穏やかさや平穏無事を愛する気持ちと同時に、
不気味なこと、残忍なこと、異常なことにも興味を抱くという
本能が埋蔵されている。
だから平静に考えれば、人間が悪に対して甘美な思いと
隠れた楽しさを感じる機能は、善に対する憧れをもつのと同様に、
極めてノーマルな、と言って悪ければ普遍的な人間性である。
それなのに今、私の周囲ではマスコミにも文士にも学生にも
教授にも主婦にも老人にも、
人間の中には、一切の破壊的な欲望などなく、ただひたすら、
優しさだけがあるような顔をしたがる人がいくらでもいる。
そうなると、私はどうもその嘘の臭気に耐えられなくなってきたのである。」
「人間は常にいささかの悪をしながら、
ときにはかなりの善をなすことができる。
この感覚が大切だと私も思っている。
人間の内部におけるこの善悪の配分時に必ず起きる、
一抹の不純さの自覚が、人間を作るのである」
悪と不純の楽しさ
曽野綾子
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人の中の純粋と不純は表裏一体なのかもしれない。
きっと理性でそこらへん、ちゃんとコントロールしてるから、
どっちの自分でいるのか選んでいるんだけど。
私は純子という名前のせいか、どうしても
純粋、純潔、純真、純白、清純、純愛・・・
という願いをこめられているに違いないという思い込みか?
純のつく熟語って案外たくさんあるなぁ・・・
そうありたいと願ってしまうけど、
間違いなく私の中には
不純、単純、
も大きくある。
そう、
あるのだーーー。笑
一抹の不純さの自覚を持つ自分をOKとしよう。
~心がほんわかあったかい、そんな日々でありますように
~
