英語の原文が読める様になりたい、



それも頭の中でいちいちに日本語に

翻訳して、


ではなくまさに英語を母国語としてる

人々が読む様に....

厳密にいえば、それが英語を読むこと

ではないのか?と思ったりする。


何がいいたいかというと、


日本語翻訳版の最初数行を読むと

この本のタイトル


利己的な

遺伝子


が持つ禍々しさに、著者である

リチャードドーキンス先生が

言及しておられる...


利己的というタイトルに、いかに人が

惑わされるのか!?

そして人々が、ダーウィニズムについて

取り分けその自然淘汰についてどれだけ

誤解しているのか、誤解を招いてしまって

いるのかを...。


生物学的考え方を安易に、社会に適用する事の

恐ろしさを、私は少し思いましたとさ。


誤解したまま安直にダーウィニズムを、

人種に適用した結果が、ナチスによるユダヤ人の

大虐殺を招き、今に続くイスラエルとパレスチナの

対立構造を、現在それを解決できる妙案を誰も

思いつけない人類に対して、超絶とてつもない

難問を生んでしまった。


そして、この国である。

安倍晋三先生が、この国にもたらした

社会的ダーウィニズム(誤った理解による)は、

大量の非正規労働者を生み出さなければ

保てない様な、脆弱性な基盤の上に成り立った

歪んだ労働環境と、単一民族なだけに

制度や仕組みによらない、ほとんど無意識

レベルの階級的には同じはずの民衆同士の

根深い差別意識助長をもたらしたのでは

ないのか?


そして翻訳にも、

どんなに上手く翻訳したところで、英語圏内の

人々が英語を読む感覚と、そうでない人々が

それを翻訳したものを読む感覚はどうしても

違ってしまうのではないか?

我々は本当に、彼等の事を理解しているのか?

下手に翻訳したものを読んで、彼等の事を

理解したなどと、どうやったら思えるのか?



などとまた、つまらん事を考えたりする

アンニュイなサタデェグダフタヌーン。