この頃、
寝る前にSF小説『三体』
読んでいるのですが。
昨晩、その中に気になる記述がありました。
397ページの3行目から続く記述。
我々の技術の発展のスピードが恐ろしい程に
加速している事についての言及。
その言及の中では、
狩猟時代 → 農耕時代:十数万年
農耕時代 → 蒸気機関時代:数千年
蒸気機関時代 → 電気時代:二百年
電気時代 → 原子と情報化の時代:数十年
という風に次の段階に到達するまでの経年を
表しており、特に近代以降が驚異的な加速度
である事が述べられています。
※以下は、私が感じた事です。
それに比べて、私達の感情を含めた
精神史は
ネアンデルタール人とそれ程変わっていない
感じ?
だって、ネアンデルタール人は死者を弔って
いたのではないかと云われていますよね。
人間以外の動物が死んだ仲間を弔っているのを、
誰も観た事はないのですから...。
もうそういう感情をネアンデルタール人の段階で
獲得していたらしいのです。
現代人だって、同じ様に死者を弔いたいという
感情を誰だって抱く訳でしょう。
そういう点では、数十万年?数万年?あんまり
変わっていないですよね、人間て。
それに反比例して、どんどん技術だけが驚異的に
加速していく。。。。 まるで、子供に玩具じゃなく
本物のピストルを”オモチャ”として与えている様な
ものですよね?
『三体』の重要なモチーフと思われる、このある意味
理不尽なアンバランス!!
一体、主よこれはどういう事なのか?
そして、我々は何処に行こうとしているのでしょうか?
あっ、洗濯機終わったみたいなので
今からカーテン干します、干しま~つぅ!