「わたしは幼い頃、河童と遊んだ思い出がたくさんあるのです」
そんな風に唐突にカミングアウトされたらアナタならどんなリアクションを示しますか?
常識的に、客観的に考えても普通の人なら冗談と受け取るものです。
たとえ親交がある人物に告げられたとしても、バイアスが掛かった目を無意識に向けてしまうのは当然のことです。
友達、もっと近い距離にいる親友に告げられたら「脚色された冗談話」として受け取ることも出来る。
職場の嫌いな上司や同僚、気の合わない近隣に告げられたら「新しい手口のイジメ」と受け取ることも出来る。
自分の両親から真剣な眼差しで告げられたら「とうとう認知症がすすんでしまった」と受け取ることも出来る。
僕がここで言いたいことは、こういう類の話を突然ふられたとき、聞き手と話し手の距離感によって若干ズレが生じるということです。冗談話になったり悪い嫌がらせになったり距離感によってニュアンスが全然違ってくる。すなわち距離感によって捉え方が変わってくるのは当然だし、信じがたい話になればなるほど、両者の間が重要なファクターになってきます。コミニュケーションツールが進化している現在でも捉え方が変化するのは必然ですが、袋小路用に迷い込んだ他所者のように、この類の会話はこの先後先忘れ去られてしまうことは決定的です。
水木しげる大先生が僕の家に電話をしてきて唐突に告げられたとしても、それは「良き思い出話」になってしまうし、大切なことはやはり人と人の間にある距離感。この「距離感」は多少の個人差はあるとおもいますが、誰にでもあてはまることだし、距離感を実際のセンチメートルで目視することが可能であれば悩み事など常に棚上げできますね。
では、その「距離感」が全く計測できない人物から告げられたらアナタはどう捉えますか?
今日僕が書く話は「距離感」を念頭に置いたまま按分して読んで頂けると幸いです。
アナタとの出会いは丁度今から6年前の話です。
僕は東北沖大震災から引き起こされる「余震」に恐怖を抱いていたときでした。生まれて初めての未曾有の危機だったと言ってもあながち大げさではない。震源地から幾分離れた関東地方に住んでいたけど受けるダメージは大きかったし、特に精神的にきたす影響は酷かった。毎日、毎晩余震の被害を受ける。特に仕事から帰ってきてシャワーを浴びてからベットに入るまでの一連の流れさえ掴むことが困難な時期でした。寝るのが怖い。寝るのが恐怖。やっと寝付くことが出来ても小さな余震に身体が反応して目が覚めるのは日常茶飯事でした。そんな僕を救ってくれたのは、当時付き合っていた彼女でした。彼女とは遠距離恋愛。もちろん関東にはいない。僕が当時住んでいた都心から遠く離れた神戸に住んでいました。彼女は神戸で看護師を生業にしているから、とても聞き上手。
僕は仕事から帰ってくるとパソコンの電源を入れ、スカイプにログインする。チャットで彼女に「ただいま」を伝えると、数分後に彼女からテレビ電話がかかってくる。
僕は毎日瞼が重くなるまで彼女とスカイプで話をする。1日あったことを、ただひたすら喋り続ければ、やがて布団が恋しくなる。たぶん僕が人生において一番言葉を発していたのはこの頃だったと思う。遠距離恋愛している彼女との会話がライフワークの中で一番の楽しみでもあり癒やしのときだったのは事実でした。
★ よっち 新しい決断をする時過去を振り返るきらいがある 2
ところがこの楽しい時間も余震の回数と比例して少なくなる。余震が気にならなくなった時に彼女に三行半を突きつけられたことは今でも鮮明に覚えています。
彼女を失ったアレルギーが出始めます。余震に抱いていた恐怖を払拭できたかとおもえば次なる試練が自分を待っています。人間とは人生とはそういうものです。繰り返すのが人生です。僕はまた仕事から帰ってきてシャワーを浴びてからベットに入る一連の流れが困難になり、地味に刻んできたルーチンワークが音を立てて崩れ始めました。僕は連鎖する恐怖をうまく処理することが出来ず痛みのない苦しみと戦っていました。はたからみれば大した苦しみではありませんでしたが自分という生き物は可愛いものです。自分が当事者であれば大袈裟な病気になってしまうものです。
そんなメランコリックな僕は当時正気の沙汰ではなかったのでしょう。プリミティブな出来事にも過剰に反応し、本当の自分を簡単に失っていました。
休みの日になっても外出することなどしなくなっていました。自宅に引きこもって薄暗いパソコンにむかい只管ツイッターなどを閲覧していました。
最近、僕が在住する神奈川県で痛ましい凄惨な殺人事件が起きました。ツイッターなどのSNSを使用して、弱っているユーザーを囲い、犯行を及ぶ。現在ならではの異常なサイコパス殺人です。今思えば僕は当時ツイッターなどでその手のサイトを僕はサーチしていたかもしれませんね。でも死にたいと思うことはなかったのが今に到れる起因だったのです。
僕はあるユーザーのツイートに惹かれ次第に興味を抱くことになるのです。生きたいと切に願えばどんなところからだって希望を見いだせるものですね。僕はそのユーザーが、いったいどんな人間でどんな場所に住んでいて、男性なのか女性なのか、知りたくなる。そう。朽ちていたはずの心の井戸が好奇心で満たされていくのです。好奇心はどんな辛い過去をあっという間に上塗りしてくれる。物凄い魔法です。それが一過性のものであったとしても、身体から離れなかった不安や恐怖を見事に解離させてくれるのです。好奇心は原動力。好奇心はエナジードリンクといったところでしょうか。
アナタは素敵な「ポエム」をツイートしていました。とても素敵な「ポエム」でした。どう素敵だったかと問われたら説明するのは難しく、ただ単純に優しく浸透する乳液のように僕の心に言葉が入ってきました。
アナタは「ポエム」だけでなく自分の気に入った写真をツイートしていました。時には偉人の言葉などを紹介していました。彼とツイッター上で仲良くなった経緯はフランツ・カフカでした。
保険局で働きながら執筆活動をしていたチェコの作家フランツ・カフカ。僕が一番大好きな作家です。
アナタがツイッターでカフカの言葉を紹介していました。
「人が通ったところに、道は出来る。」
ツイッターは道ではありませんが、アナタと僕がやりとりした形跡は小さな道になっていきました。急速にアナタとの距離が縮まるのです。やがてツイッター上ではなく電子メールでのやりとりが始まりました。それは小さな道ではなく、立派な水路のようなものに変貌を遂げていました。アナタは僕にメール上でデリケートな秘密を教えてくれました。
「わたしは10代の頃にある病を発症し15年間、その病と付き合ってきました。医療従事者によれば、もう寛解することは不可能。あとは静かになって死を待つのみです。わたしは死ぬのを恐くはありません。言い方は悪いですが、今は充実した毎日が過ごせているので、死が来るのが実は楽しみであったりもします」
僕は狐につままれている。アナタと僕の距離感はセンチメートルで表記するのは絶対ムリだろう。アナタは死を受け入れ死を待つ人間。かといってアナタが誰なのか、男性なのか女性なのか、名前も歳も顔も声もわからない現状に僕の思考回路は尋常なものではなかった。自分の判断が信用できなくなったので、気のしれた唯一の親友にその話をしたら、たぶんそれは新興宗教とかの勧誘だから気をつけろと忠告された。確かに一過性の好奇心に翻弄され弱りきった心を曝け出す僕はある人達にとって絶好のカモかもしれない。でも僕はアナタをバイヤスで目視することはできなかった。
アナタは僕の住所と電話番号をメールで聞いてきた。ほら見ろと気がしれた僕の親友がドヤ顔で言ってきた。
でも僕はアナタに住所と電話番号、そして本名まで教えた。でも当時住んでいた住所ではなく、実家の住所を教えた。そう。僕はその頃横浜にある実家に戻る決断をしていました。
実家に戻って2年間何事も起こりませんでした。僕は実家に戻って平穏な暮らしをおくっていましたが、ある不安を除去することが出来ませんでした。それはアタナからの連絡が2年前からパッタリと途絶えたからです。もしかするとアナタはもうこの世にいないのかもしれません。僕はアナタが別のところにいってしまったのではないのかと推測していたからです。ところが去年の秋。丁度一年前。信じられない出来事に遭遇することになりました。
野暮用から実家に帰宅すると母親が真っ青な顔で僕に詰め寄ります。
「何を買ったんだ」って
「いや最近何も買っていない」
僕は愕然とした。実家の玄関に大きな壁のようなダンボールの板が横たわってる。それは縦横2メートルぐらいはある大きなダンボールだ。僕はその段ボールについていた宛名を確認した。送り先の住所欄に「後見人」と書かれ、聞いたこともない住所と名前が記入されていました。おそらくアナタの「後見人」が僕にサプライズを送り届けたのでしょう。僕は巨大な段ボールを開封して丁寧に中身を確認した。表にこわれもの注意のシールが貼ってあったのでより慎重にあける。母親に手伝ってもらいながらダンボールの中身を表に出してみると、それが2メートル弱四方の「絵画」であることがわかった。「絵画」といっても純粋な「絵画」ではない。所々、貼り絵のような工夫が施されていて、今までに見たことのない独創的な作品でした。
アナタは僕に「絵画」を送ってきたのです。それも音信不通になって3年後の歳月が流れ。
絵画を眺めると額縁のスキマに手紙のようなものが挟まっているのがわかった。僕はそれが直ぐにアナタからの手紙だということが何故かわかった。僕の直感は外れていない。アナタからの手紙だった。
「おひさしぶりです。お元気ですか。驚かせてごめんなさい」
「連絡が途絶えてごめんなさい。色々とありました」
それから以前に戻ったかのようにアナタとメールのやりとりが再開されました。現在進行系です。
ごくたまにですが、今でもアナタからメールが着ます。北海道の心友のように季節が移り変わると僕のメールの受信BOXに「1」が着きます。
「わたしは幼い頃、河童と遊んだ思い出がたくさんあるのです」とアナタは言いました。
僕に送られてきた「絵画」は楽器を奏でる可愛い河童の絵です。僕はその「絵画」を壁に飾って毎日眺めています。
ウソのような本当の話。
もしアナタが亡くなったら、この絵「絵画」を写真で収めてブログに更新するつもりです。そんなことを言ったらアナタに怒られるかな。もちろんアナタは僕がブログを書いているなんて知らない。
おしまい。いつかつづくかもしれない




