8月16日というのは京都市内では「五山の送り火」が行われる日である。学生として京都に4年間いたのに、意識して送り火を見たのは大学4年の時の1回のみである。心の中で
「これが最後になるかもだから、見ておくか。」と思ったのかもしれない。いつもの夏なら
夏休み期間なので知り合いは帰省して誰も残っていない時期なのだが、流石に4回生*注1ともなると就職活動や何やかやで残っていた下宿生が多かったので、缶ビール片手に集まったものだ。一つ覚えているのは・・・。同じ方向へ歩いているのだが、道路を挟んで別の歩道を歩いていた私に向かってhopperさん(マシーン軍団*注2)が「おい、ハリー!」と叫んだので声の方を見ると犬が「キャイーン」と鳴いたのだ。「え、犬を踏むところを俺に見せたかったの?。」と聞くと「バカ、たまたま踏んでしまったんじゃ。そんなことするか。」「ここまで酷いヤツとは思わんかった。」「だから、違うって。」とかいう会話をしたことか。全く大事なことは覚えていないのに、くだらないことは覚えているものだ。
*注1 大学4回生・・・通りがいいのは「大学4年生」という表現であろうが、京都では
「〇回生」という表現が主流である。この呼称の由来は京都大学にあると言われ、数字は在籍年数を表す。例えば大学4年生でも留年を2回すれば「6回生」である。
*注2 マシーン軍団・・・私が大学時代に加入していたサークルに所属していたメンバーの内、愛知県在住の3人を称する。呼称の由来はメンバーが英国のロック・バンドであるソフト・マシーンの愛好者であったため、そこから。構成員はRatledgeさん(先輩)、Hopperさん(同期)、Wyattさん(後輩)。今や在住はしていないが愛媛県生まれの私は勝手にAyersを名乗り勝手に準構成員を主張している。大事なのは愛である。
7)西部八月 ( PANTA :近藤等則:山口冨士夫 etc )
/ 1992年8月16日 京都大学西部講堂前広場特設野外劇場
1992年、当初は久しぶりに送り火を見ようと思っていただけだが、この日は西部講堂前広場でライブがあることを知って、そちらを見に行こうと予定を変更。1年ぶりにPANTAを
しかも西部講堂前広場で見ることができるし。送り火を見るのが目的でなくなったから「当日は雨でもいいな。」と思った。何故なら雨天の場合はライブが講堂内で行われるから。
結局、その日はいいお天気で、それは夜も変わらず。講堂内には入れなかったが薄くなっていたものの屋根の三ツ星は確認したからいいか。
前日の土曜日はフリクションとニューエスト・モデルが出演したので、それも見たかったのだが、流石に出不精がここで物を言ってしまった。(笑)で、16日当日である。ジャズや詩人のパフォーマンスが続き、「この混沌が西部講堂らしいのか、いや昔のフィルモアもこんな感じだったろうか。」といつもの妄想が頭を過る。近藤等則の演奏は切れ味鋭かった。
そして、PANTAの登場。バックはTHE GROOVERSの面々。TOSHIも加わると、まるで頭脳警察ではないか。西部講堂を背景に聴く『オリオン頌歌』が何と神々しく響いたことか。
PANTAの演奏が終了した時点でかなり夜は更けていた。明日は仕事なので私はここで退席。
まだ住居は池田市なので、そこまで帰らなければならないのだ。よって、この後の演奏は見ていない。チラシに書かれてあるボアダムスが演奏したのかどうかは知らない。よって山口冨士夫の演奏も見ていない。本稿「時間旅行 第三幕」で「テツ山内を見なかった」と書いたのはこの日の話である。テツと冨士夫は同じステージに立った。
しかし・・・。後日、山口冨士夫がとんでもなかったという話を聞いた。
冨士夫とテツはこの日のトリで出てきたのだが、双方かなり酩酊していたようで曲にすらならない自由すぎる演奏を展開し、散々ヤジられて20分ほどでお開きになったとのこと。
この時の楽屋の様子がどうだったかをGROOVERSの藤井さんに聞いたことがあるのだが、
「それはもう・・・・。」ああいうステージになるのは仕方なかったことが伺える話で
詳しく書ける話でもないのでお察しいただきたい。後日、この日の冨士夫の演奏を録音した
テープを当時の知人から貰ったのだが一聴して捨ててしまった。(笑)
私はその時はまだ知らなかった。この3年後に、この日の冨士夫の演奏が可愛く思えるほどの雑音を恐ろしい音量で40分間も灰野敬二に浴びせられることになろうとは・・・。(笑)
何はともあれ、京大西部講堂を体験(!)できたのは間違いない。あの日、世界で最も美しくて最も神聖な劇場が現出したかどうかはさておき・・・。
幕間

























