仕事前にこれを書いてから働いて良かった。
その常連のお客様は年中アイスカフェラテを頼まれる。
最近とても寒いので氷を減らして提供する。
お客様はその接客を喜んでくださる。
それをお伝えする日もあれば、お伝えせず提供する日もある。
今日はお伝えしてから提供すると
とても丁寧にお礼を言ってくださった。
気遣いありがとうございます、と言われたが
私自身冷たい飲み物がとても苦手なので
気遣いとは思わず、共感がゆえの行動だったのだが
お客様が伝えてくれたおかげで気付いた。
私、相手に合わせた気遣いができるんだ。
誰かと比べれば足りない、気が利かない、と思うこともあるけど、私ではない誰かが気付かないことに私が気付くように、役割があるのかもしれない。
それに気付ける自分でいようとする心掛け自体が私の持っている素晴らしい才能なのではないか?
たくさんのことが出来る自分でいなければと、つい自分の向いていないことにまで手を出すことは誰かのフィールドを奪うことになるかもしれない。
私の才能を活かしているだけで、こうして誰かの役に立ったり幸せを感じてもらうことができるなら、その方が私も良い。
誰かを幸せにする前に、自分が満たされていなければ…ということ。
嫌々している気配りは本当の気配りではない。
自己犠牲の上に成り立つものは長くは続かないし、幸せでもなんでもなく、やってあげたのだから、やってもらったから、という恐ろしい連鎖を始めようとする。
何の気なしにできるその気遣いで、
私は誰かを照らし、温めれたらと想う。
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仕事を辞めることを決める前から
やれていたはずの接客が段々と出来なくなって
やれるけどやらない作業が増えた。
辞める日が決まるとそれは進んで
出勤するだけで良いのだ、と思うようになった。
本当はお店のことを思えばこれをした方がよい、
私が動いた方がよいことはたくさんあった。
だけど、出来なかった。
しようとすれば心も身体も削れるから。
それでも罪悪感に負けて動いてしまうと
家に帰ってお風呂に入る時、
怒りで暴言が止まらなくなる。
もれなく寝付きも悪くなる。
辞める日は決めたのにどんどん病んでいくのが止まらなくなって、12月後半からのシフトはとてもワガママに短い時間&休憩有りシフトで働くことにした。
年末も本当は今までのように長く働いた方が皆の負担が減ることが分かっていても押し通した。
年始も3日間休んだし、今度の3連休前に辞めることにした。
心が痛むし、罪悪感がひどいけど、もう辞めるのだし、嫌われても構わん!と思えた。
私が潰れてしまうことだけは避けたかった。
31日だけは結局とっても頑張ってしまったけど、それは自分からやろうと思えたことだったから誰かを恨む気持ちは湧かなかった。
短い時間だけなので、身体の負担はとても減った。
それでも心への負担は減らなくて、12月で終わりにすれば良かったとずっと思っていた。
実際辞めても良かったかもしれないけど、
辞めていたら今日のこの体感は起きなかったし、
あのお客様に挨拶することも出来なかったはずだ。
実際、お店は忙しくて、人が足りていればもっと売上も取れたし、各々の負担も減ったはずだが、人が足りないと認識した後の話は私が考えることではなく、店長が采配する領域だったと今更ながら気付く。
店長が頼りないからと自分が勝手に背負い込んだのは私だ。
そのように私が観測するから世界は見事にそのように展開してくれる。
うまくできた世界だ。
次はどんな仕事をどこでするか、
何にも決めていないけど
今はそれで良い。
今の店ですることを最後までやり切った時、
新しい道が顔を出すと思っている。
最終日の明日。
短い時間だけど、精一杯やってこよう。