歴史に疎い私がこんなこと

書くべきかどうかも迷うけど

このところ考えていたことを

書き留めておきたいと思います。

 

 

日本はアメリカの属国。

GHQの思惑通り。

 

そうなのでしょう。

 

でも、日本は『敗戦国』です。

ウクライナとロシアの戦後を考えると、

ウクライナが負ければ、ウクライナの

国が消滅するか、領土を削られるか、

どちらにしろ、ロシアの支配下に置かれ

国民は再教育され、国語はロシア語、

考え方はロシアの独裁者の意のまま、

それに反抗すれば、投獄され、

そこでも反抗すれば、生きて出られない。

 

それが敗戦国になるということ。

 

 

日本がそうなっていないのは

昭和天皇が直談判に出たことと、

日本人の、天皇への傾倒の理由が

その直談判から見えたのではないか?

 

占領する余力もそれほどなかったのか

それなら天皇制を利用して

日本を思いのままにしようとした。

 

 

戦後の日本は、絶望の中にありました。

でも、そこで発した昭和天皇の言葉は

日本人に深く刺さっていたのでしょう。

アメリカを恨むところには留まらず、

追いつけ、追い越せと言いながら

努力を惜しむことなく切磋琢磨する、

そうして目まぐるしい復興を遂げた。

 

 

上差し昭和天皇の玉音放送全文と

その現代語訳を載せてくださっています。

現代語がないと、私には理解ができませんキョロキョロ

 

現代語訳の最後の部分を引用します。

 

余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。

そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。

 

以上、引用。

 

昭和天皇が描いた未来、

今、日本はどこにいるのでしょう。

 

 

 

皇室が皿を受け入れた時点で

皇室の未来を危ぶまれたであろう

昭和天皇は、その先に想いを馳せた。

 

それが浩宮さまだったのでしょう。

浩宮さまの帝王教育を徹底しました。

そして昭和天皇の思う以上に誠実で

堅実にお育ちになられた浩宮さま。

 

どこから連れてきたの?という

昭和天皇の疑問もある中で、

自由の名のもとに放任されたA宮。

結果は皆さんご存知の通り。

 

 

昭和天皇が濱尾さんを通じて、

あるいは直接、天皇のあるべき姿、

国民の象徴というものについて

伝え導いたのではないでしょうか。

『敗戦国』としてではなく

平和を謳う日本へと繋ぎたかった。

 

先代負債が、敗戦国の代表?として

各地へ赴いたことは、昭和天皇が

お考えを先代に伝え続けた中に

各地の慰霊も含まれていたのでしょう。

先代は元々、ピュアな人だった。

以下の言葉は昭和天皇から何度となく

語られ続けてきたことを反芻し、

自身で考え続けたことなのでしょう。

 

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)より

 

そんな昭和天皇の言葉を

自分の都合のいいように解釈し

思うがままに変えたのが皿婆。

そのやりようは皆様の知るところ。

 

 

でも、昭和天皇はそれも含めて

未来を見ていたのかも知れません。

 

浩宮の次は浩宮の子

 

晩年に遺されたとされるお言葉。

まだ、雅子さますら登場していません。

でも浩宮ならば、浩宮の想いを理解し

一緒に実現して行ける女性を選ぶと

信じておられたのでしょう。

そしてそのお二人からお生まれになる

お子様にも正しく受け継がれ、

その時代に相応しいものにしていく、

そんな未来が見えていたのでしょう。

 

きっと今ごろ、いや、それ以上だよと

お空の上から感心しながら見ていますねキューン

 

 

その子は女性だった。

 

これは歴史にとってとても重要なこと。

大きな時代の転換期にあるということ。

 

昭和天皇だって、そこまでは

想像していなかったと思います。

 

でも、両陛下は見据えていたのかも。

少なくとも、Hを直接見た時から。

 

そしてそれが容易でないことも。

 

 

両陛下が権限を持たないことを

頑なに守っておられるのですから。

 

先代は特権とやらを目いっぱい使って

やりたい放題をしてきました。

それを目の当たりにしてきた両陛下。

それがどういう結果を生むかも

解っておられた事でしょう。

 

贅を尽くし、人を顎で使うような皇室が

長く続くなど、歴史を見てもあり得ない。

 

 

恐らく雅子さまは、皇室を変えるべく

ご結婚当初に何かおっしゃられた?

それが癪に障った皿がイジメはじめた?

雅子さまは、外交官の娘であり

ご自身も外交官をなさったご経験上、

皇室のことを外から見ておられました。

皇室を世界に向けてどうしていくか、

開かれた皇室を実現するには等々、

アイデアが湧き出る泉のようなお方。

 

それを聞いて皇室が変わっていたら

平成停滞期はなかったかもですね。

 

残念ながら、皿は受け入れません。

そして才能溢れる美しい嫁の口を封じ、

あのような惨状に追いやったのでしょう。

 

 

あ、また話が反れました。

 

 

何が言いたかったかというと、

アメリカの属国だったというのは

『敗戦国』という観点からすれば

受け入れなければならない歴史なのかなと

思い至ったということです。

 

ただ、それももう終わるのかなと。

今上天皇皇后両陛下が、

堂々と世界各国の要人たちと

親密な関係を結んでくださっています。

 

自制の中で徳を積み、学び続ける、

国民に寄り添い、平和を祈り続け

世界に平和を訴え続ける。

そんな崇高な両陛下でありながら

相手を選ばず、誰に対しても心細やかに

対等にお振る舞いになられるお姿。

 

それを間近に見てお育ちになられた

愛子さまが受け継がれています。

 

 

アメリカがK田を馬鹿にしても

天皇御一家に対しては畏敬の念を

持つのではないでしょうか。

 

そして世界もまた、天皇御一家に

注目し始めているように思います。

 

 

敗戦国日本からの脱却。

だからと言って敗戦から学んだ

平和の大切さを忘れない。

そして平和がどのように実現され

どのように維持していくのかを

両陛下はずっと考えてこられ、

それを世界に向けて発信されている。

 

世界と対等な立場で。

 

 

国民がこれに続き、政治を変える。

天皇制は日本を守り導いてきた。

良くも悪くも。

これからもずっと。

 

そのためにも愛子さま立太子は

歴史の必然となるでしょう。

 

平成から学んだことも

生かしていかなければね。

そう、国民一人一人が自分で考え

人任せにしないということ。

自分にできることは小さいけれど

その一人一人が集まって

大きな力になるということ。

 

 

天皇制を残してくれたアメリカに

そして発展を許してくれたアメリカに

その点はありがとうと思います。

 

 

 

世界から尊敬され憧れられる日本。

すでになりつつあります。

私は日本が誇らしいと思っています。

日本製品、日本の食文化、町の美観、

サービスの充実、トイレの清潔さキラキラ

 

日本人だからできることですからラブ

 

 

あとは政治を変え、皇室を浄化する、

今、ここにいるのだと思います。

 

 

愛子さま立太子後の日本が

どれほど明るいものかを

想像するだけでワクワクしますラブラブ