子どものころから育った『家庭』は、

少なくとも小学校に行く前までは

その子にとって社会そのもの。

 

その家庭の在り方が、

その子にとっての法律であり

生きるための学びの場所。

 

母乳、ミルク、おむつ替え、だっこ、

寝かしつけなど、どうやったら

快適にしてもらえるのだろう?

そこから作り始める親子関係。

両親の発する歌や言葉を聞いて

それを母国語としてインプットして

少しずつ会話を通じて関係を深める。

 

見たもの全てが初めてです。

何でも触るのは当然のこと。

興味津々で家の中をはい回り、

あらゆるものに興味を示しては触り、

時に「いたずら」だと言って𠮟られる。

もちろん、理解し見守ってあげられる

そんな余裕のある親だっている。

 

そこであたたかく、心豊かに育てれば

両親に似て優しい子供になるでしょう。

 

そこで厳しく、がんじがらめにして

何でも怒られて育ってしまったら

小さい頃は大人しく黙っていても

大人になったら、怒りっぽい、

直ぐにキレるような人間になるかも?

 

もし何もかまわられずに育ったら・・

愛を知らない子供になりそうですね。

そして、何ごとにも無関心で

無気力な人間になりそうです。

 

 

小さい時の家庭環境は子供にとって

とても大切だし、その後の家庭を

作り上げていく方向性も決まります。

 

前にも書きましたが、天皇陛下は

スウェーデンの教科書に載っている詩を

子育ての参考にしておられます。

 

ドロシー・ロー・ノルトの詩

 

『子ども』

 

批判ばかりされた子どもは

 非難することをおぼえる

殴られて大きくなった子どもは

 力にたよることをおぼえる

笑いものにされた子どもは

 ものを言わずにいることをおぼえる

皮肉にさらされた子どもは

 鈍い良心のもちぬしとなる

 

しかし、

激励をうけた子どもは

 自信をおぼえる

寛容にであった子どもは

 忍耐をおぼえる

賞賛をうけた子どもは

 評価することをおぼえる

フェアプレーを経験した子どもは

 公正をおぼえる

友情を知る子どもは

 親切をおぼえる

安心を経験した子どもは

 信頼をおぼえる

可愛がられ抱きしめられた子どもは

 世界中の愛情を感じとることをおぼえる

 

 

愛子さまがお生まれになる前から

子どものための環境や親の在り方を

しっかり勉強されたのでしょうね。

雅子さまとそれを話し合い、共有し、

愛子さまをお迎えになられたのでしょう。

 

そして成長とともに、更に学ばれて、

色々な場面で御家族で話し合われ、

そしてみんなで解決してきたのでしょう。

だからあれほど仲の良い御一家となられた。

 

愛子さまを子ども扱いせずに

意見を受け入れ、一緒に考える。

これをすることで愛子さまは

精神的な成長を遂げられたのでしょう。

それも最高に徳のある知的な家庭で。

 

成年会見も、22歳の外交デビューも

卒業後の進路も、すべて充実した

御家庭の中での話し合いの場から

自然と導かれたものだと思います。

全てが裏付けされているからこそ

一本芯の通った、誰もが納得できる

結果を導き出すことができました。

 

 

64歳のお誕生日に寄せたお言葉の中の、

悠仁様に関する質問に答えられた部分、

そこにも、陛下の子供に対するお気持ちが

詰まっているように思います。

人を否定することなく、でき得るかぎり、

いいところを見つけて伸ばしてあげたい。

そして自分のことをしっかり見つめて

やりたいことを自分で見つけて欲しい、

そんなメッセージが込められていました。

 

お優しくも、厳しいと思いました。

何故なら、その環境にない悠仁様だから。

自分のことを自分で決められないのは

これまで考えることさえ許されない、

ただ親が敷いたレールの上を歩く。

親から植え付けられた、人を見下す、

自分は選ばれし人間という価値観、

これをすでに生まれてからずっと17年半。

どこに彼に考える余地があったでしょう。

今後、彼が考えることといえば、

恐らくこの環境をぶっ壊すところから。

 

彼が自由に考えを形にするには

その環境が邪魔でしかないんだから。

 

でも彼に何ができるでしょうか・・

陛下のお言葉は彼に届くのでしょうか。

 

 

国民がなぜ彼を次の天皇として

受け入れることができないのでしょう。

 

愛子さまがおられるから?

 

違うと思います。

 

何の『実』も見えてこないから。

彼がもし、成績が良くなかったとて、

身体に何らかの問題があったとて、

それを受け入れ、努力しているならば、

素直にのびのびとお育ちになられ、

しっかり考え、正しく生きていたなら

それ相応に愛され、敬われたかも。

 

でもまったくそれが見えないどころか

優秀でござい~を続け過ぎて

今や優秀説は崩壊してしまってます。

 

国民の前に出なくてはならない以上、

盛りすぎは悪手でしかありません。

 

情報統制したからって、このご時世、

C国ですら漏れ伝わります。

 

残念ですが、悠仁様の『実』は

近くで実際に見た国民の話と、

あの風情からのイメージとが合わさり

おそらく国民が想像している彼と

ほぼ同等なのではないかと思います。

 

 

そこに祖母の意向で隠されてきた

愛子さまの成年会見での圧倒的な輝き。

 

国民の心を鷲掴みにしました。

皇室の救世主と賛美しました。

 

そこから2年間、お出ましの度に

期待を裏切らない、いや、

常に期待を上回る品格とオーラを

国民に見せてくださいました。

 

そして極めつけが、想像だにしなかった

日赤就職という選択の正しさ、潔さ。

 

 

 

この歴然とした差はもう埋まらない。

そして愛子さま天皇への国民の切望を

抑え込むことはできないでしょう。

 

国民は本物を見てしまったのですから。

 

そしてそこにあった子育ての違い。

極端すぎて比べるのも失礼ですが・・

 

 

陛下は、これまでにも何度も

A宮家、皇族方へのメッセージを

お言葉に込めてこられました。

皇族としての在り方であったり、

家庭での話し合いの大切さであったり。

 

それを完全無視したA宮家の

何と愚かなことかと思います。

そして子育てに失敗していることに

全く気付いてもいない。

全ては人のせいなのでしょう。

 

所詮ニセモノの集まり。

それは皿婆から始まります。

A宮という怪物を育てたのは皿婆。

そしてその入内を切望したJKの罪。

ニセモノが皇室を牛耳るという結果。

 

 

そんな酷い環境の中で、

今上陛下は昭和天皇から受け継ぐ

自分を律し、国民に寄り添うという

天皇としての在り方を守り続けられた。

 

その精神性の高さは昭和天皇と同じか

それ以上なのかもしれません。

 

何故なら、今上陛下の育った環境には

贅を尽くし、欲に溺れた両親がいたから。

 

そこに染まることなく、昭和天皇に倣い、

浜尾実さんの教えを固く守って来られた。

ずっと国民に寄り添うとは?という

難題に考えを巡らされておられた。

 

この果てしない精神性を持つ今上陛下、

そしてその皇族としての心構えと覚悟を、

理解し、共に学び、歩んだ雅子さま、

そしてそのお二人がお育てになられた

皇女、愛子さまがいてくださる日本。

 

『有り難い』とはこういうこと。

 

これこそが敬愛に値するものなのですね。

 

 

 

どうか皇室なんて生活に関係ないし~

って思っている多くの国民が

A宮家の悪評からでも関心を持ち、

そして今上天皇御一家の素晴らしさに

気づいていただけたらなと思います。

 

そうした中で、子どもを持つ家庭が

子育てをそこから学ぶことができたら

日本はどれほど素晴らしい国になるか。

正しい教育を受けた子供は

正しい教育をする親になり得る。

そんな循環が実現していけば

陛下の願われる世界平和への期待も

広がりを見せていくのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

と言いつつ、うちの子は?

ってなる私はまだまだですがキョロキョロ