一昨日の夕方。

被補助人さんの施設訪問を終えて、本日の任務完了と帰宅途中に、

別の被後見人さんの入所している施設から電話があり、

腸ねん転の疑いで、救急搬送されたとのご連絡をいただきました。

 

すぐに病院に向かい、待つこと2時間半余り。

内視鏡でねじれた腸を元に戻す施術ができないではないが

その病院では夜間の内視鏡を使っての施術はできないので、

とのことで、急きょ別の病院に転院することになりました。

 

転院先の病院で説明を受け、

治療にあたって同意書に署名をしてほしいということに。

 

私たち後見人は、法律行為にサインすることはできても、

医療行為の同意にサインすることはできません。

 

その旨を伝え、

お医者様の判断でお願いします、

と伝えたところ、

我々も、同意がないと何もできません。

何もせずにお帰りになっていただくことになりますが

よろしいですか、と。

 

いや、それでは、見殺しにするようなものですから・・・

 

ご本人さんには、成人した息子さんがいらっしゃるのですが、

長男さんは知的障がいをもっていらして保佐人がついていらっしゃいます。

次男さんは障がいではないですが、引きこもりがちな方で、

コミュニケーションを上手に図ることができない方です。

話せば状況は理解してくれそうではあったので

次男さんに電話をして、口頭での同意をいただき、

治療をしていただけることになりました。

 

この方の場合は、

一応身内がいらっしゃるので、

医療行為が必要なときに親族に同意してもらうことができました。

 

ところが、他の被後見人さん、被補助人さんは親族がいらっしゃらず

(正確に言えば、いても疎遠であったり、関係を拒絶されていたりという場合が多いです)

万が一の場合、途方に暮れてしまいそうでもあります。

 

生殺与奪・・・

 

意味合いは違いますが、ふとそんな言葉も浮かんで来たり。

 

薄暗い休憩室で一人ぽつねんと待たされて、

煌々と輝く月を見つめながら

どうして自分がここにいるのだろう?

そんな気持ちになってみたり。

 

後見人という立場であることだけでなく

自分の身内に対しても、

いざというときの判断は判断できる者にゆだねられることになります。

 

一人の人間の生き死にがかかっていると思うと

そう易々と回答もはばかられる気がして。

 

命を預かる、というのはそういうことなのだと、

妙に納得し、途方に暮れて。

 

日付が変わる前に

帰宅した一日。