こんばんは。
城下町金沢の行政書士、
夢実現サポーター きはらなおみです。


今朝の学びから、出会ったことば。

「阿頼耶識」

仏教のことばなんですが、
ご存知でしょうか?

「あらやしき」

と読みます。

仏教では、心を8つに分けて考えるそうです。
・眼識(げんしき)
・耳識(にしき)
・鼻識(びしき)
・舌識(ぜっしき)
・身識(しんしき)
・意識(いしき)
・末那識(まなしき)
・阿頼耶識

身識までは、目や耳など、五感で観じる心。

意識は、記憶したり判断したり、
命令したりする心。

それより深いところにあるのが、
末那識であり、阿頼耶識と呼ばれる心。

末那識は、執着する心だそうですが、
なにより重要なのが、
阿頼耶識。

意識の奥深くで、強い力で
私たちを動かしている心。

阿頼耶識は、肉体が滅びても、
滅びることなく、
過去から未来に向けて流れていく、
生命の大河とでもいえるでしょうか。

私たちは、川にできる泡のような存在。

泡沫(うたかた)ですね。

>ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし

という方丈記の一節を
思い出しました。

長明さんは
世の無常をうたかたに例えましたけど、
実はうたかたは人間そのものなのですね。
阿頼耶識の考えでいうと。

この阿頼耶識には、
業力(ごうりき)という力が収まっていて、
それが運命を生み出すのだそう。
私たちは、業力によって、
それぞれ違う世界を生み出し、
全く違うものを見ているのだということです。

だから、同じものを見ても、
人によって捉え方が違うし、
感じ方も違う。
違って当たり前なんだということ。

大河の流れのある一瞬、
ぽっと生まれたうたかた。
たまたま、本当にたまたま
同じ瞬間に生まれた別のうたかた。

人と人の出会いが、
そのようなものだとしたら、
この上なく
愛しいと観じます。

そして、皆、それぞれに違って、
それでいいのだと思います。
皆、それぞれの世界があって、
それぞれの世界で生きているのだから。