人はなぜ争うのか。
なぜ奪い、傷つけ、嘘をつくのか。
その理由を、私たちはよく「欲深さ」や「悪意」のせいにします。
しかし本当は、もっと根の深いところに原因があります。
それは、不安です。
未来が見えないという不安です。
明日、生きていけるのか。
努力は報われるのか。
この社会に、自分の居場所はあるのか。
その答えが見えないとき、人は心の余裕を失います。
余裕を失った心は、優しさを保てません。
奪われる前に奪おうとし、失う前に抱え込み、
他人を信じるより、疑うことを選びます。
衣食住が満たされていないとき、争いは生まれます。
しかし、それだけではありません。
衣食住が満たされていても、未来が見えなければ、
人は同じように不安になり、心を荒らしていきます。
だから問題の本質は、豊かさではありません。
「この先も大丈夫だ」と思える確信がないことです。
刹那的な快楽や、過剰な消費や、終わりのない競争に人が走るのは、
今この瞬間にしがみつくしかないからです。
未来を信じられない人ほど、今を使い切ろうとします。
もし、失敗しても人生が終わらないと分かっていたら。
もし、役に立たなくなっても、尊厳を奪われないと分かっていたら。
もし、困ったときに必ず手を差し伸べてもらえると分かっていたら。
人は、ここまで焦らなくて済むはずです。
ここまで欲望に振り回されなくて済むはずです。
希望とは、成功の約束ではありません。
勝ち続ける保証でもありません。
希望とは、転んでも終わらないという感覚です。
失っても、人として扱われるという確信です。
その確信があるとき、人は穏やかになります。
穏やかな人は、人に優しくなれます。
優しさは、努力ではなく、安心から生まれます。
すべての人が希望を持てる世界とは、
誰もが特別になれる世界ではありません。
誰もが、不要にならない世界です。
成果がなくても、価値が消えない。
競争から降りても、居場所がある。
速く走れなくても、役割がある。
そんな社会であれば、
人は他人を蹴落とす必要がなくなります。
世界を一気に変えることはできません。
しかし、希望は小さな場所から生まれます。
顔の見える関係。
助け合いが循環する場。
嘘をつかなくていい空間。
そこでは、人は未来を信じ直します。
争いをなくす方法は、人を縛ることではありません。
欲望を否定することでもありません。
「奪わなくても大丈夫だ」と、
人が心から思える未来を、一つずつ用意していくことです。
その積み重ねが、
心を穏やかにし、
人を優しくし、
世界を静かに変えていきます。
希望は、遠くにある理想ではありません。
人が人でいてもいいと感じられる場所に、
すでに芽生えています。
その芽を守り、広げていくこと。
それこそが、
すべての人が穏やかに生きられる世界への、
最も確かな道です。
