「抱きしめる」ということの“重み” | よねちゃんのつれづれ便り

「抱きしめる」ということの“重み”

ゆうべ「八日目の蝉」を見た。

永作博美が幼子をやむなく手放すシーン。事情が事情なだけに仕方ないことだが、家族写真を撮る前に思いっきり幼子を抱きしめるシーンには思わず泣けてきた。

それだけとは言えないが、子どもが小さいうちは、時には抱きしめることで愛の深さを親は表し、子どもはふれあうことで安心感を得るのではないかとさえ思った。

と同時に、思い浮かんだのは「こうのとりのゆりかご」のことだった。市の有識者による会議のまとめによれば、「設置当初と比べ、安易に利用されている傾向がみられる」とされたが、病院側はゆりかごの中に預け入れようとする人に向けての手紙を入れたり、熊本を拠点として、全国でいくつかのNPO法人と協力し、相談業務に力を入れるなど、いい方向に改善されていると思う。

また、快楽に溺れ、「命を宿す」ということに対して意識が希薄になっている結果、「こうのとりのゆりかご」のような救護施設が生まれているという悲しい(悲惨な)現状があり、そして「大人になりきれていない大人」が増えていることの裏返しであるような気がしてならない。