変わりゆく国語辞典 | よねちゃんのつれづれ便り

変わりゆく国語辞典

今、私が使っている国語辞典は、中学の時から使っているものだ。

この数年でブログをはじめ、原稿や文章を書く機会が増えた。

文章を書きながら、同音異義語やことばの使い方が分からなくなった時、辞書を利用している。

私の友人や知人も電子辞典を持ち歩いているという。私自身も紙の辞典ももちろん使うが、携帯電話版の「広辞苑」を利用する事も多い。紙の「広辞苑」は自分で持ち運べないほど重いが、携帯版ならば端末と月々数百円支払えば使い放題だ。時々、私がふだん使っている国語辞典には載っていないことばもあり、重宝している。

来年1月、改訂された新しい「広辞苑」が発売される。DVD版でも1万以上するので便利なのは分かっているが、少々高いような気がする。

今回の改訂版では、約10000語収録されることばが増えるというが、その中には方言や「ニート」などの社会性を表すことばや、「うざい」とか「ラブラブ」なんていう若者言葉も載るという。

それらのことばを選んだ理由について「若者言葉の意味について知りたいというニーズがあったため」としているが、果たして20年や30年先まで「うざい」ということばが使われているとは思えない。もし使われているとしたら、そっちのほうが嘆かわしいし、問題だと思う。なぜならば、それは日本語の衰退を示しているからだ。うざったいと思われるかもしれないけれど。


それよりも「コンセンサス」とか「ユビキタス」とか「ユニバーサルサービス」など、どんどん増えていくカタカナ語の解説を増やしてほしい。もちろん最近は「カタカナ語辞典」も発行されてはいるが。

お役所では、逆にカタカナ語を日本語に言い換えるよう、努力しているところもあるらしい。

たとえば、「ユニバーサルサービス」は「全国一律」というように。

カタカナで言うより、日本語で言ったほうがよっぽど分かりやすい。

「ことばは生き物だ」とよく言われるから、辞典もある程度柔軟に対応しなければならない。“進化”するのは構わないが、“退化”させてはいけないと思う。

考え過ぎと言われるかもしれないが、日本の文化にまで影響を与えかねないと考えているからだ。