いとしさと切なさと…
1か月ほど前、好きだった人に偶然「再会」した。
2年ぶりの「再会」である。
ある番組で、昨年亡くなられたある芸能人の一周忌を迎えるにあたり、改めてその方の足跡をたどるという内容だった。
彼女は、ゲストの一人だった。
彼女は、その芸能人の方から姉妹のようにかわいがられていたという。
縁とは不思議なものだ。どこでつながっているか分からない。
進行役の女性が彼女の名前を呼んだ時、耳を疑った。
そして登場した彼女。以前にも増して、落ち着いた印象を受けた。
私と彼女が知り合ったのは5年前。ちょっとしたきっかけからメールのやり取りをするようになった。
ちょうど私が以前勤めていた会社を辞め、アナウンスの勉強をしようと思い始めていた頃だった。
彼女から毎日のようにメールが届いた。
内容はたわいのない事が多かった。
でもそれは私にとって、とても新鮮だったし、楽しかった。
時には仕事や将来の夢について語り合い、お互いに励ましあったりもした。
そして、メールのやり取りをするようになって半年を過ぎた頃、彼女から告白された。
最初は戸惑った。生まれて初めて女性の方から告白された事も一つの要因だったが、
自分が車いす生活者だというのが、最も大きな要因だった。
もちろん、彼女には、自分が車いす生活者である事は前から伝えていた。
でも、自分の身体の状態や日常生活に介助が必要な事は伝えていなかった。
伝える必要がないと思ったから。
でも、告白された以上、それらの事をきちんと伝えようと思った。
そして、精神的な支えにしかなってあげられないかも知れないということも伝えた。
もちろん、私も彼女の事が好きだったし、
彼女には女優として羽ばたいていくという大きな夢があることも知っていたからだった。
だからこそ、きちんと伝える責任があると思ったし、きちんと彼女と向き合おうと思った。
自分の思いを彼女に伝えた。でもいくら待っても、彼女からの返事は来なかった。
答えがないのが答えだったのだろう。
今でも、あの時、何も考えず、ただ「俺も好きです。付き合おう」と答えていたら、
流れが大きく変わっていたかも知れないと思う。
大塚愛の「プラネタリウム」の一節が頭をよぎった。
「行きたいよ 君のところへ 今すぐ駆け出して行きたいよ」
「逢えなくても記憶をたどって同じ幸せを見たいんだ」
あれから4年。
彼女はテレビや舞台で活躍している。
私もあの時は予想もしていなかったが、地元のラジオやテレビに出演させて頂けるようになった。
今年も彼女宛の年賀状に自分の近況と、彼女の更なる活躍を期待するコメントを書いて送った。