善悪の価値観 陰陽論講座から | 法仁針灸院日記

法仁針灸院日記

専門 : 針パワーで「元気」を生み出す!

Zoomで開講

久々の東洋医学講座

陰陽論でした。

お声掛けありがとうございます!


講座中、ご意見に

「善悪も陰陽だが

どうしても良い悪いの価値観が

つきまとう。陰陽に価値観は

ありますか?」との

素朴で深い疑問が上がりました。


お題を頂いたと感じ

これまた久々にブログを書きます。



確かに陰陽の「陰」には

暗い、寒い、沈む、さみしい…

ネガティブなイメージが拭えない。

「ネガティブ」すら「ポジティブ」

対する「陰」に該当する。


しかし、結論から言えばきっと

陰陽に価値基準なし!だ。


一方が存在するから

対立する相手が存在しうる。

そこに価値はないのである。

「悪」の概念があるから

「善」の概念が存在できる。

逆もまた然り。


光があるから影ができる。

影があるから光の存在を知る。

そこに世界が成り立つ。

ただそれだけ。


そして

陰陽は相対的に変化する。

比べるものによりどんどん変わる。

どの視点に立つかによっても

変わっていく。


例えば

日向は日陰に対し「陽」に当たるが

季節という視点を加えると変化する。


冬の日向はありがたいが

夏の日向は御免被りたい。


同じ日向「陽」も

季節を加えると「ネガティブ」な

「陰」に変化することだってある。


善悪に、価値を感じて分類

するのは私達「人」の視点。

それも今、この時、この私

視点にすぎない。


分類した善悪

その中にすら既に濃淡がある。

時が、人が、時代が変われば

善悪の価値すら変わっていく。


もっと大きな所から考えてみよう。


宗教的な視点から見れば

仏教の宗派の中には


極悪人ほど救われるべき人だ

悪人ほど菩薩の慈愛を

より多く受け、救済される人だ

と考えるという。


悪の本質をもって生きた

「陰」のエネルギー旺盛な人ほど

無意識の中身は「陽」つまり

善を求め求め、求めて止まない魂

なのかもしれない。


陰陽相和して神仏となる

と考えれば

悪人が死して神仏となるには

沢山の「愛」「善」「陽」を

受取る必要があるのかもしれない。


勝手な解釈ではあるが

キリストの「片頬を打たれたら…」

にも同じ様な意味があるのかも

と思いを巡らせた。


つまり、神仏から見れば

悪人ほど愛されるべき存在

ともいえる。


神仏の視点では

善悪の価値基準は、私達のそれと

全く異なるのかもしれない。

又はそもそも

そこに価値すら見出さない

とも感じられる。


ここで

陰陽相和して神仏となる

との考えからもう一つ。


「人」も生きながらにして

「神」となる時がある。

それは、男女が一体となり

新しい命が誕生する時だ。


神とは陰陽相和して

「命を生み出すもの」である。


「新しい」「命=生」「生まれ出る」

「喜ばしい」「晴れやかな」

「陽中の陽」の出来事であるが

その実は「陰中の陰」の存在が

不可欠である。


生殖器が「陰」の部分にあり

生殖行為を「秘め事」と捉え

ある種の「恥ずかしさ」を超え

少なからずの「背徳感」さえ

存在する。


男女の陰陽を決するのは

生殖器の形からであり

人の陰陽を語る上で

避けて通れない神聖な話題と

認識している。


神仏の視点から見れば

陰陽に価値基準はない。

「晴」も「恥」も全くない。


ただ陰があり

それに対立する陽があるのみ。

陰陽が共にあって世界が生まれる。


そして陰陽は増減を繰り返す。

うごめく陰陽の動的平衡が

世界を動かし、かつ安定させる。


子育て心理学講座の先生から

教わった

「魂レベルでは

嬉しいことも悲しいことも

この世を味わうためのもの

全てが経験値」


天にある「神仏」に対し

地に生きる「人」である私には

なかなかどうして

到達しうる境地ではないが


それでもやはり

時には自分を離れ

視点を変えて

見てみることの大切さを

深く深く考えさせられた

講座となりました。


東洋医学講座

鍼灸マッサージ講座

承っております。


法仁針灸院

小林純子

Instagram@kobajun_hari