このブログの始まりは
5月に受講したセミナーで必須の宿題だったことがきっかけでした。
そして、今日がその宿題のひとつの節目になる3ヶ月目に当たり
本当は毎日継続の筈が、こうしてかなりの時折になったことを
省みながら、終わりよければ全て良しと勝手な結論を出し
キーボードに向かっています。
そして
今日のテーマは「本の読み方を考える」という、
とてもシンプルな事柄についてお届けしようと思います。
私の、ロールモデルの一人である御方は
今年77歳を迎える男性です。
十代の頃からお世話になっているので、
存じ上げるようになってから随分と長い時間が経ちました。
その方の読書量は、子供の頃からすさまじく
歴史、哲学においては
(その評価が出来るほど私には見識がありませんが)
右に出る人は少ないのではないかと思っています。
例えば易経、詩経、論語を始めとする四書五経についても
また春秋戦国時代の話しにしても、その時にまるで存在し
その場を見聞きしていたかの如く、会話調で鮮やかに
話して聞かせてくれます。
と或る日、私もいつか(できれば一日も早く)
そのようになりたいがあまり、一日に100冊本を読めたら
どんなに良いだろうかと安直な発言をしてしまった時
「そんな馬鹿なことを言うものではないよ。
本を読むというものは、丁寧に何度も何度も繰り返すもので
短時間に簡単に読んでも、それが自分のものになることは
決してないのですから。そしてそれを人生に生かすにはその後の
多くの経験も必要なのです。」と言われました。
その方のお年ですから、小さい頃は誰もが貧しく、たやすく
本を買えるわけではなく、休みの日に担任の先生の家へ行き
書棚にある本を朝から晩まで読み耽っていたのだそうです。
難しい本であればあるほど、丁寧に繰り返し読まなければ
それを真に理解し、自らのものにすることができないこと
そして、その学びが身につくには、人との交わり合いの中で
いくつもの経験を経て初めて得られるものだということです。
「論語読みの論語知らず」と言うが如く
読むだけでは否、読んだ後、どうそれを自身の行いと
するかということなのだと痛感します。
まだまだ先は長いと感じます。
けれども、今生には必ず終わりがくるわけなので
悠長なことも言ってはおられません。
今日を一つの節目とし、倦まず弛まず
少しずつ加速していきたいと思います。
