皆さんどうもお久しぶりです。ん?あけましておめでとうですね。自分です。
というわけで先日2/16に自分氏は毎年恒例の誕生日を迎えて30才となりました!パチパチパチ。
思い返してみればこの10年間いろいろなことがあったと思います。何もない10年間でした、とはならねーなそりゃ。
というわけで気合入れて、この10年間、120か月を振り返るイベントをやっていきましょう!さすがにやりすぎか?
クォーターにわけて、40Q振り返りと行きますか。
というわけで、2月に誕生日ですので3~5月を春、6~8月を夏、9~11月を秋、12~翌年2月を冬として振り返っていきましょう!!
んご!
まずは20才になった瞬間から!
記念すべき20才の初日はなぜか覚えていて、近くの県が池に合宿に来ていたので朝練をした記憶です。
カヌーを漕いで15年以上になりますが、地元の池で朝練(ていっても7時とかだけど)をしたのは大会前を除けばこの日だけだった記憶。さすが20才。
そして午前練を終えたのち、ペヤング超大盛を20才最初の昼飯として食べた記憶。ちなみに30才最初の昼飯は会社の食堂ビュッフェでしたわ。
20才春!
このころはカヌーがかなり漕げていた時期だったでしょう!
3月の選考会では全国規模の大会として初のB決勝進出、ススススではシングルは6位もペアはあお君との復活ペアで見事優勝!
5月の県予選は4位か。タイムはたしか1:52とかかな。まあ普通に漕いでも1:50秒台前半は普通に出せていたころ。このころくらい体動くといいな。
20才夏!
二十歳の夏だからと言って相変わらず童貞で、カヌーを漕ぎまくっていたはず。あとミスドでバイトしてたりとかね。
市民カヌーでは500mの自己ベストである1:49を記録。1:50を切れたのはこの時だけだったな。スイミーに負けて2位だったけど。
夏も多分試験が終わったらカヌー三昧かな。インハイの応援とか行ったのもこの時でしたね。
20才秋!
全日本の1000mでも自己ベストの3:54を記録。タイム的には20才が一番いいんだね。
しかし500mは身内の不幸で棄権し、さらに直後に両腕を骨折するという不幸もあり。そういう意味だと20才は踏んだり蹴ったりだったかも。
長距離選手権は棄権でしたね。
20才冬!
ここは、まあ年末年始にいろいろありましたね、という感じです。あれから9年か。悪い意味で薄まっているな。
そして大学1年の冬から続けていたバイトをやめるというイベントもありました。これは21才なったけど。
結構短い期間だったけど、いろいろな人に出会えてとても楽しかった!ありがとう!
21才春!
3月はバイトをやめてカヌーに打ち込み、選考会へ。バイトの追いコンとかもあったな。
そして選考会では自分のキャリアハイ、と思っているA決勝7位を記録。そういえばこの時はダムくんに勝ったね。最後の20mで刺した記憶。
4月に入ると研究室配属!自分にとってとても大切な人たちとの出会いですね。最初は同期内もぎくしゃくしてましたね。のちに研究室黄金世代とよばれる世代の始まりですよ。
カヌーはスプスプは調子は悪くなかったですがまさかの準決勝敗退。選考会では決勝上がれたのに。まあそのファイナリストが6人とかいたしね。面白い。
そして翌月は最終選考会。前年の全日B決勝進出と選考会のA決勝進出の結果をもってこの大会の出場権を得ていました。
自分はこのとき、この大会をもってカヌー競技に一区切りつけるつもりで臨んでいました。
多分ここで全力を尽くしても自分は勝てない、そこである程度あきらめもつくかなと思ってこの試合を迎えました。
この直前の自分はカヌーを少しやめたがっていた節はありましたね。このことは明言していませんが、2014年10月投稿のタイトルが「スタートを切る準備はスタートの前に」というところに表れているのでしょうか?
また、当時の思いは2018年3月投稿の「暇だって言ったじゃん」では熱く語っています。なんだこれ?昔の記事の紹介している?
21才夏!
研究室ではもりもり研究をしながら土日はぼちぼちカヌーの練習していたはずです。
毎年恒例の市民カヌーでは戦隊の仮装をして出場し3位入賞。ここからしばらくは入賞から遠ざかっていましたね。
そして8月に入ると大学時代としては異例の1か月カヌーから離れて院試勉強に専念。そのかいあって大学院には無事合格。俺流冒険王4への道が開けました。
21才秋!
9月はカヌーの練習を再開してすぐに全日に乗り込みました。500mのみのエントリーでしたがシングルはまさかの予選敗退。え?
まあ1か月漕いでなかったし仕方ないよね。と思いつつも当時は1:55とかは出してましたね。やっぱ大学時代はベースが全然違いますわ。
そして同期ででたフォアはジャパンにはもちろんぼこぼこにされるも準優勝。日本2位ですよ。のちに繰り上がって優勝か?
それ以外にも隣の市民カヌー優勝したり、研究室ソフトボールも準優勝したり、関西選手権ぼこぼこにされたり、長距離選手権7位入賞したりとスポーツの秋ですね。
特に長距離選手権はロングほとんど練習せずに臨みましたが、当時のスパ中をぎりぎり刺して7位入賞。
バイトをやめて金欠で隣県日帰りの長距離選手権でさえ出場を危ぶまれたのですが、ゲームとか売って何とか出場したことで日本代表への道が開けましたね。いやあ金がないっていう言い訳はもう使わないと心に決めたエピソード。
21才冬!
いよいよ大学4年間をまとめにかかるための卒業論文。あんまり記憶無いなあ。めちゃくちゃ苦労したわけでもないしな。
日本の最高学府に出張に行ったりていうイベントもそういえばありましたね。
そして忘れてはいけないのがバイトの同期との卒業旅行!直前で紆余曲折ありましてやや童貞がイライラしてましたが、
隣県の山のほうとかドライブ行けて自分にとっては本当に忘れられない旅行になりました。
なんだかあの曇り空の寸又峡とかみんなで見た夜景の雰囲気とかは大学生の旅行っぽいしなんか涙が出てくるね。
このあたりは2016年1月投稿の「普通過ぎて怖い」に掲載されています。
そしてその後は人生最大の苦しみを味わうこととなったのです。あれ、この辺はヤフーブログから移行したタイミングで消えたかな?
まあ今となってはいい思い出?なのかな。それでもこのルートだったらどれだけ幸せだったろうかとは考えてしまう今でも。
そして2月の最終日には無事卒論の発表会を終えていたのでした。まあここはあっさり。
22才春!
最初の2週間は卒論の追い込みをしていたはず。それでも徹夜みたいなイベントはなかったけどね。
卒論提出と宴会を繰り返し、解放されるとカヌーを漕いでいたようです。楽しかったね!
3月末には大学を卒業しそのまま大学院入学へ。そして俺流冒険王3は終わりを迎え4への一歩を歩んだのです。
そんな4年間のまとめは2016年3月投稿の「俺流冒険王3」をご覧ください。このブログの名前の由来が後付けで掲載されているのです。恥ずかしい。
先述の卒論終了後のカヌーの練習が功を奏して?スプスプは自分を含めた周りの予想に反して決勝進出7位でした。タイムも1:53とかだったしぼちぼち漕げているのでは?
さらにはその1か月後の県予選でも1:50という多分自分の上位5指には入るタイムをたたき出していたのでした。たたき出したというには何とも言えないタイムだけど。
あ、あとその前に木場潟で最終選考があったか。
もちろん未出場の香川や予選敗退の全日の結果は関係なくて、長距離選手権7位の結果からマラソンの世界選手権の予選に出場しました。
大荒れのレースで5人中3人が棄権とかいうネタ予想満載でしたが本家のスプリントたちの人を抑えて圧倒的暫定1位のタイムをたたき出しました。キャリア最も遅い5:05です。草。
そしてなんとこの結果をもってドイツで開かれるマラソン世界選手権のU23日本代表に選ばれました。選ばれてしまった。
ちなみにこの時も、2回も教授だったり上司に恐る恐る報告したことは懐かしいですね。
教授への報告の様子は2016年5月に投稿の「え?ってなって、お?ってなった」をご覧ください。
22才夏!
研究はぼちぼちしながらカヌーもそれなりに漕ぐという楽しい生活をしていたはずです。
県予選から調子もあがっており、7月の市民カヌーでは2012年以来4年ぶりの優勝も期待されていましたが、まさかの直前で水ぼうそうで1週間入院というイベントがありました。まじかよ。
それにより調子は大きく崩し1:55か56の5位という微妙な結果に終わりました。それでも56秒とか出てたんだ…
そしてこの市民カヌーを境にスプリントの練習に一区切りつけマラソンの練習にシフト。
10周ロングにとどまらず、20周ロングとか漕いだはず。この時タイムどんなもんで漕げたんだろう?
2016年9月投稿の「夏だからって全部いいわけないだろ」を参照すると10周ロング58:35って書いてありましたね。
多分12kgでやってると思いますし、去年より1分早いですね。さすが当時の自分ですわ。
後童貞卒業したのもこのときでした。未だに素人童貞だけど。
22才秋!
この時期はなんといってもカヌーマラソン世界選手権ですが、その前哨戦として1000mだけ全日に出ていました。
確か結果は4:01で準決勝敗退とかでしたが、スプリントの練習してないにしてはこんなもんじゃない?と思った記憶。
そしてペアはあお君との最後のペアを組みましたがまさかの4/4位。ごめんよ。。。
そしていよいよドイツに向けて飛び立ちます。自分にとって初めての海外。そう思うとこの10年間で、ドイツ、フィリピン、香港、ベトナム、スペイン、イギリス、アメリカ、タイ、デンマークと乗り継ぎの国々と9か国を回ったんですね。そして未だに同じ国に2度は行っていない。
初めての国際試合、初めてのカヌーマラソンは覚悟、情報、練習そして圧倒的実力が足りないことを痛感させられました。
それでも10年かけて世界選手権という舞台に立てたこと、自分にとってとても誇れることだったなと思います。
と、同時に二度と行かねえよボケが、と思ったのもまた事実です。
その後に国内の長距離選手権に出ますが思いっきり調子を崩してい19位とかでした。一緒に行った日本代表の皆さんみんなボロボロで草生えましたね。
22才冬!
忘年会で高校の同級生やカヌークラブの人といろいろあったようですがあまりインパクトのあるイベントはなかったかな?
お?適当になってきたタイミングか?カヌーもそれなりに落ち着いて意識はどちらかというと就活に移っていたような気がします。
その中でも研究室での生活をはじめとして楽しいイベントは多かったはずだけどあんまり覚えてないや。
23才春!
3月になり就活が本格解禁。さらにそれに加えて学会の準備もある、とかなりヘビーな時期だったのを覚えています。
頭おかしくなって、ハイテンションでESと学会準備と、就活に関してはこの先が見えない不安と周りへの嫉妬とか今思うといろんな思いを抱えていましたね。
それでもなんとか4月中旬に第一志望群だった今の会社に内定を頂いて就活を終えることができました。
その後はスプスプと県予選とあったけど、さすがにボロボロでしたね。
23才夏!
このころは研究もいい感じに進めてカヌーはぼちぼちでいろいろなやつと飲み会とかでかなり遊んでいた記憶。
特に8月とかのイメージは今まではあカヌーの全日前の追い込みとか院試とかあったのでストイックな夏を過ごしましたが、いつぶりかの遊ぶ夏休みって感じでした。
それでも女の子とほにゃほにゃがあったわけではありませんが!死にたい!
23才秋!
この時期はいよいよ大学院生活、学生生活の終わりが見え始めてきたなと思う頃でした。
それを強く思ったのが9月の岩手学会。
発表もありましたが、それだけでなく学会を脱走して同期メンバーで遊びに出かけたりとかめちゃくちゃ楽しい学会でした。
その帰り東北本線で花巻空港に向かうのが自分一人になってしまって、沈みゆく夕日を見ながら感慨にふけっていたのを覚えています。2017年10月投稿の「行楽シーズンて言うじゃん?」をご覧ください。
その後は内定式があったりとか本当に社会人になっていくことを強く意識させられましたね。
さらにはもうボロボロの長距離選手権があったり、瀬田側にカヌー漕ぎに行くイベントもありましたね。楽しかったね。
23才冬!
学生としての最後の仕事である修士論文に奔走した3か月だったと思います。
さらには12月には急遽横浜の国際学会に出させてもらうことになりそれの準備もつらくも楽しく行えていました。
学会自体はエロボイス姉とかホストの大学の皆さんとかにも大変お世話になって楽しかったです。
そしてそのあたりをもって主な研究の実験を終了、残りの1か月ですべてをまとめあげる作業へと移りました。
自分はやったことは何でも修論に残したかったので結果として150ページという大作になりました。
しかし、これを書き上げることはあまりつらいことではなくむしろ、もう終わってしまうのか?というとても寂しい思いを抱えながらやっていたことを覚えています。
全然書ききれないパートとかもありましたがすべてを終えた時にはついに終わってしまったという達成感と哀愁をとも感じました。
そして最後の発表会に向けて準備をしている矢先にインフルエンザ。まさかの高熱状態での発表となりました。
それでも結果はなんと学科で優勝という最高の成績で学生生活を終えることができました。やったね。
その後卒業旅行とか行きましたね。研究室メンバーで行った札幌最高でした。本当に尊い時間でした。名言生まれすぎて草でしたよ。
24才春!
最初は高校の同級生とのセブ島旅行から、いろいろありましたがこれはこれで楽しかったです。うん、本当にいろいろあったけど。
あとはぼちぼち飲み会とかをしてついに大学の卒業式です。最強のメンバーがそろった自称黄金世代が研究室を去りました。サンキュー!
遂に俺流冒険王は1~4という学生時代編を終えて新章突入、社会人編です。
入社式の時とかは堅かったのを覚えていますが、飲み会とかを経ていろんな人と仲良くなれました。楽しかったぜ!
なんか今スマホの写真とか見返すとこのころは会社の人よりも地元のやつとか大学のやつとよく遊んでますね。
ミスドお花見とかスプスプとか研究室ベルギービール祭りとか。
なんか別日に同期の男女15人くらいでベルギービール行ってたらしいの草。遭遇してたら死にたくなってたと思う。
そして仕事はというと人事研修に技術系研修と、まあ何とも言えない日々でした。事務職のこともっと仲良くなりたかった!
24才夏!
事務職の女の子と仲良くなりたいという思いが通じたのか、2年目の先輩も含めた100人規模の大飲み会!そこでなんか大暴れして同期女子全員からドン引きされるという勝ち確イベントもありましたね。死にたい。
その後の海外研修では同期女子のボス猿とまさかの同じ班に。そこでちゃんと頑張って優秀感を出すことで同期女子の評判を取り戻していったのです。
っていうかまだ半分行ってないの?キツイ。
そして帰国後はロボット作りの研修が始まりました。ん?まあこれくらいは言っていいか。
自分のもともとのスキルをすごい発揮できたわけではないと思っていますが、それでもみんなで考えて設計したものが出来上がり動いていくというのは本当に感慨深かったですね。
また、なんかしらんけど同期全体のリーダーもやって発表会で社長会長いる前での司会とかもありました。
そして夏の終わりには同期男子スケベ旅行のプロジェクトリーダーも務めました。草。
お盆明けには部署配属されましたね。
24才秋!
先述の通り半年弱の研修期間が終わりました。つまり学生ロスタイムが終わって名実ともに社会人になったわけです。
といっても最初はなんかよくわからぬままいろんなことをやっていただけかと。また隣のGに拉致される事件もありましたね。
仕事は決して忙しいということはありませんでしたが、働くことのプレッシャーは大きく感じていたかも。
プライベートでは最後の長距離選手権とか、隣町の市民カヌーとか、社内駅伝とか楽しいイベントは多かったと思います。
いや、長距離に関してはもうどうでもいいレベルまで落ちぶれていたか。
24才冬!
仕事の方はちょっとずつ自分のやるべきことは見え始めていたと思います。
テーマを与えられて取り組めていました。それでもまだまだ手加減はしてもらっていたと思いますが。
年越しイベントとか和解飲み会?とかありつつ楽しくやれていたと思います。
また最初の冬のボーナスで自艇を購入なんてのもありましたね。支払いするのはだいぶ先でしたが20代のうちには支払えました。
25才春!
3月には会社の同期男女8人でユニバに行くというくそ陽キャイベントありました。20代で一番陽キャだったのは間違いなくこの日です。10代には青春なんてものはなかったしね。
どう考えてもアッシーで召喚されてはいました。もっててよかった車!それでもみんなと行けて楽しかったぜ!ありがとう!
その後はJ級審判になってはじめての仕事の選考会。4年ぶりに帰ってきた香川県府中湖はまさかの審判。
泣きながら水路審判とおじさんたちの相手をしていましたね。もう行くことないのでは?
一応スプスプとかもありましたが、この年はシングルもペアも決勝がないというキャリアで最も悪い成績だったと思います。キャリアって言葉よく使ってるな。
その後は平成が終わり令和になり、超大型GWで東北旅行に行きましたね。先述の学会で行ったローソンとか行ったしね。懐かしい。最後は事故って終わったけどまあ楽しい旅行でした。
25才夏!
海外出張でスペインに行ったり、最初のPJTが山場を迎えたりと仕事しては暫定1位の盛り上がりを見せていたと思います。
プライベートも結構いろんな写真がありますね。飲み会とか鹿児島旅行とか。
遊んでたっていう意味ではこの10年間はコロナもあったけどそれになる直前のこの2019年、25才が一番楽しかった記憶あるんだよな。
25才秋!
東京五輪の会場での全日でグダグダでした。
後はバイクの免許を取ったのがこのタイミングでしたので、乗り回していましたね。楽しかった。
最初のツーリングで狛犬見て翌日温泉行って、翌日県境の山。3日間で100, 120, 160kmとか走った記憶です。
その後もリレーマラソン、隣の市民、テニス部の合宿殴り込み、社内駅伝、社内バスケ大会、社内サッカー大会とか運動も多くてかなり楽しかった。仕事としても実は狭間でちょっと落ち着いてましたね。
25才冬!
仕事しては第2のPJTが山場を迎えて忙しくなってきて、任せてもらえることもちょっとずつ多くなってきた時期です。
忘年会祭りとトレイルランにはまっていた時期ですね。
そして2月ころからは新型コロナウイルスの影が少しずつ迫ってきていました。直前の同期二人ディズニーとか楽しかったな。
26才春!
3月はコロナの影響をもろに受けて、だいぶばたばたしていました。
そして自分としては20年以上暮らした実家を出て一人暮らしを始めたのです。そしてこのブログも今のタイトル俺流冒険王6になったのです。7になるのはいつかな?
コロナでやることが本当になかったこの時期を部屋の整備で時間を潰せたのは不幸中の幸いだったかも。
オンライン飲み会で若いとかもそういえばありましたね。後この時期はカヌー全く漕いでなかったと思います。ていうか池も使えなかったし水たまりも閉鎖していたかも?
26才夏!
コロナでおとなしくしたり、狭間でバイク乗ったり飲み会したりしつつもかなり静かな夏を過ごしていたと思います。
仕事としては、リモートとかの環境にみんなが慣れ始めてきたころでしたね。次のPJTも設計の山場を迎えていた記憶です。
退屈な日々だったと思います。それでも仕事があったのもまた不幸中の幸いだったでしょうか。
26才秋!
相変わらずめちゃくちゃ楽しかった1年前とは違ってそれなりにおとなしく生きていました。
仕事が落ち着いたのとほぼ同じタイミングでGotoキャンペーンを駆使した一人バイクツーリング旅行。四国です。
コロナに包まれた2020年の中では一番大きなイベントだった気がする。うん、この年は人と移ってる写真も相当少なかったしね。
旅行自体はノスタルジックなシーンもありとてもいい旅でした、詳細は2020年11月投稿の「落差はすごい」をどうぞ。
26才冬!
仕事は忙しく、プライベートも忘年会とかもなく退屈な年末年始でした。
それ以外だと研究室の同期のだちょう君とカヌーの後輩のインクくんと結婚式が2連発でした。
どちらも友人代表スピーチと乾杯挨拶を任せてもらったのでそれなりにしゃべったくらいですかね。まあどちらも酒は一杯飲めて楽しかったよ!
27才春!
コロナ禍になって1年が経ちました。仕事もだいぶリモートにも慣れて、自分はほとんどしていないけど、2年弱続いたプロジェクトが終息したのもこの時期でした。仕事しては凪が続いたかも。
登山部を始めたり、隣県の1泊ツーリングを2回やってたりとちょっとずつ遊んだりは始めているようですね。
27才夏!
世間はオリンピックとかありましたね。あんま記憶無いや。
自分の周りでは全小全中と二つの全国大会を審判で間近で見られたことはよかったことですね。感動したよ。
そして2年ぶりとなるスプリントの大会出場、さらにはホームの池の復活とカヌーを漕ぐのを再開した時期でした。
最初は全力で2:10も切れないくらいという地獄のようなタイムでしたね。
それでもちょっとずる速くなって2:04くらいまではでました。微妙じゃねーか。
27才秋!
まさかのイギリス編です!
仕事の関係で急遽2か月のイギリス出張が決まりました。楽しかったですよ。
最初は英語の心配とかありましたが、一緒に行ってくれた先輩の支えや現地人が想像以上にいいやつらだったのでとても楽しめました。
日本ではない飲み会イベントもありましたしね。そしてロンドンに一人で大冒険したり、ケンブリッジの街ブラもしているだけで楽しかったな。戻りたい気持ちもある。
27才冬!
前半戦は隔離編ですわ。
イギリスで仕事のミッションは達成して無事帰国するもホテルと自宅で2週間の隔離を過ごしました。
退屈でしたね、てか実家隔離の後半はランニングとかしてたし。
そして解放されるとコロナが比較的収まった年末年始だったので2年ぶりの忘年会。カヌーと大学と、それくらいか。
28才春!
仕事がどんな感じかあまり覚えていないのですが割と暇だったような。
んで帰国後からカヌーの練習は再開して3年ぶりのスプスプ!コロナと池の耐震工事でやれていませんでした。
結果はボロボロでしたがペアはなんとか決勝行けたし、やっぱり大会は楽しいなと思えました。
県予選もぼちぼちかな。
28才夏!
市民カヌーでは久しぶりの入賞を狙うも後輩大学生やフリーターに敗れて5位。その後は全日でるか?というノリでフォア練習したり、このころは毎週のようにカヌー漕いでいてかなり楽しかったですね。
仕事自体もちょっとずつ忙しくなってきてはいるものの、まあなんとか回る範囲でした。ちょっとずつコロナ前に戻りつつある?
28才秋!
結構イベントが多くて楽しい時期だったかな。
アメリカ出張とかその後の飲み会とか社内駅伝とか、いとんなことに一喜一憂していた記憶です。悲しい。
関西選手権ではシングルは数年ぶりに2分きりを記録したりフォアは3位に優勝とかぬーをたのしめましたね。
そして人生で2番目くらいのダメージを食らったのもこの時期ですが、素人童貞ですが彼女もできました。楽しいね。
あとはこのへんからはいよいよ30才を意識し始めたので、20代最後のXxxに迎えて、まあ一番はカヌーの20代最後のシーズンをどう迎えたいかを考え始めました。
28才冬!
ロングをめちゃくちゃ漕ぎだしたのです。あと彼女と別れました。20日ですが、今回の定義で言うと季節をまたいだわけですね。
20代最後のシーズンでカヌーを速くなるためにベースを上げるためロングを漕ぐ。ついでにマラソン日本選手権へのエントリーも決めました。
年末年始休みを挟むと少しぐだりましたが日本選手権までの2か月分のメニューをきっちり立てて一つずつこなしていきました。
毎週15周ロングx2とかやってたし、よくやったよ。
29才春!
いよいよ20代最後の1年です。先述の20代最後のシーズンも始まりました。まずはスプスプ。
シングルは昨年よりも速くなりますがさすがに結晶からは程遠い。ペアも微妙。
まあロングベースでスプリントの練習ほとんどしてなかったし、と言い訳しつつも多分しててもほとんど結果は変わらなかったでしょ。
それでも当たり前のように2分は切れていましたね。練習でも何回も。
その後のGWはロングの最後の仕上げを行い、ついでにフォアのお楽しみレースもやっていよいよマラソン日本選手権を迎えます。
一人で行って知り合いもいない遠征なのでかなり寂しかったですが、いい宿でまったりもできました。
レース自体は、最初から上位集団についていき第2集団位をキープできました。きちんと練習の成果を発揮できた感じはあり、学生含めると14位。まあ、インカレの得点絡んでてかなりガチだったこと考えると上出来でしょ。
そして社会人ではまさかの2位、そしてこの結果でなぜか日本代表になってしまったのでした。
29才夏!
マラソン日本代表になり、仕事と練習を繰り返す日々でした。このころの仕事もかなり忙しいけどね。今に至るまで。
週の何日かは仕事を早く切り上げて練習をするという数年ぶり、少なくとも会社入ってからは初の午後練をしてました。楽しかったなあ本当に。
そしてあっという間のアジア選手権でした。いろんな人との出会いもあり楽しく過ごせました。
レース自体はグダグダで納得いくものはできませんでしたが3位入賞。アジア銅メダルです。成績だけで言えば最高記録。まあね。
それでも内容はダメダメで少なくとも社会人になってからは一番悔しかったですね。いい経験だ。
しかし帰国後にコロナが発病しました。これで1か月以上調子を崩しましたね。
仕事と練習の両立はこの時期も続いて朝練チャレンジとか川練習とかのイベントも挟まりました。
そして8月末からはデンマークに出発しました。
29才秋!
デンマークでの世界選手権。もう二度と出ないと決めたカヌーマラソン、そもそも出られるとも思ってもいませんでした。
それでもやっぱりこの世界最高峰の舞台にまた立てるというのはとてもうれしいこと、7年前以上に準備は足りていないし実力も不足している。
それでもここまでやってきたことをぶつけるだけです。ただ、結果はぼろ負けで地獄でした。悔しい。
20代最後の挑戦、結果としては惨敗でした。それでもここまで挑戦できたことが楽しかった。
日本選手権までと思っていたのに、アジア・世界選手権へと道がつながったこと。
会社や周りの人に理解をもらって、応援してもらって取り組めたこと。
自分がやりたいと思ったことを半年以上もやり切れたこと。
30目前にしてここまでカヌーに打ち込めるなんて思っていなかったし、少なくとも社会人になってからは一番楽しい時期でした。
その後は関西選手権とか隣の市民とかあったけどなんかグダグダでしたね。
29才冬!
はい。もうここはね。世界選手権の反動でカヌーは全く漕いでいないし。土日はグダグダ。
懇意にしている女の子はいない。
平日は仕事をそれなりに頑張ってはいますが、本当に空虚な日々を送ってます。中二くさいなあ。
時々酒を飲んでは翌日夕方まで寝る日々です。今日も。
そして先日30歳になったのです。
はい。
というわけで10年30季節を振り返りました。長い。
ていうか同じような振り返りは別に年ごととかやってんじゃん、なんかいやんだよ!
はい。
まあ20代はどうだったかな?
10代は小中高大と4つの学校を駆け抜けていって成長すごかったけど。まあ子供だし。
20代は大人になる10年間でしょうね。じゃあ自分はちゃんと大人になれたのかな?
まだまだガキだよね。でもそれがいいよね。
30代の目標はガキのままでいることかな。あと、ガキは作りたい!
素人魔法使いだよ!冷静にやばいよ!誰か結婚してくれ!
まあそこらへんは1年の目標でもやってますが。。。
とりあえず30代になったのでカヌーではマスターズというくくり入りだします。
というわけで直近?は2025年の台湾のWMGにエントリーします。カヌーはマラソンもスプリントも合わせて7種目でれるっぽいのでだれかペアも出てほしいな?
はい。めちゃながくなりましたが10年の振り返りは終わりです。
これからもよろしくお願いします!頑張るぜ!
以上俺でした6!
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