皆さんどうもお久しぶりではないです。自分です。
皆さんにお伝えしなくてはならない重大な事実が存在します。
それは、
それは、
それは、
なんと、
なんと、
なんと、
この記事をもって俺流冒険王4は終了してしまうという事実です。
なんですと⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉
そんな、ひっそり談時代から、俺流冒険王1,2,3と続いてきたこのブログがついに終わってしまうなんて・・・・
って思った人はいないですよね。安心してください。このブログは終わりません。それはどういうことかって?
もう一つの重大発表があるので、それはこの記事の最後にお知らせします。覚えてたら。
というわけで先日大学院を卒業し、いよいよ2日後に入社を控えた自分であります。ありんしゅ。
そこで、この2年間を大雑把に振り返っていけたらなと思います。俺流冒険王4とは何だったのか?ということでしょうかね?
というわけでいってみよー!
M1 4月
俺流冒険王4の冒頭でも述べたかもしれませんが、学部を卒業して院生になったタイミングで何か大きな変化があったかというと決してそんなことはありません。
それまで通り、研究室でぐだぐだと研究を続けていただけです。そういう意味では学部3年から4年オンほうが大きく変わりましたね。これも冒頭で述べている。
そういうわけで大学院初日から激しく研究に精を注いでいた!というわけではないのがこの大学院の始まりです。
3月最終日と4月初旬には自分は東京(日本の首都です)で昼から酒を飲み、ドームや映画館で暴れていたのです。えへへ。
そうです学部時代にドはまりしたラブライブのファイナルライブを見に現地に行ってました。片方だけですが。
この日は学部をストレートで卒業した皆は新社会人だっていうのにこの違いよ!いいじゃないですか!院生なんだから!
まあこれはこれで楽しくやってそれ以降は研究頑張っていたと思いますよ。
一つのイベントは毎年恒例のスプリングスプリントですね。よいしょ!
卒業研究間際はあんまり練習できてないし、B4の時はクソだったしこれ以上は無いかなと気楽に臨んでいました。
そしたら意外や意外。卒業間際のイライラをぶつけたウェイトや春休みの暇な時の乗艇とかがよかったのか、なんか知らんけどすげぇ調子よかったです。そうはいってもシングル7位、ペア4位でしたけどね。なんかカヌーって楽しいなと騙されていました。
M1 5月
GWの頭に石川県木場潟に遠征に行きました。なんかカヌーマラソン世界選手権とかいうくそほどの価値もない大会の選考対象に引っかかっていたようです。まあ遊び半分で漕ぎに行こうかなと。
そうしたらものすごいバカ荒れ。一番早い時より1分以上も長く1000を漕いでいました。
周りの人とかも散々だったようで本当にクソな大会だな!ぷんぷん!って感じで帰っていきました。
そして月末には9月の学会の申し込みをして、金沢開催だし全日からそのまま連泊で行こうかなウキウキとか考えていました。
週末には恒例の県予選です。予選があったりクソみたいな感じでしたが、決勝ははしゃいで前半からぶっ飛ばすという今までとは違うレースペース!とかやってました。
まあレースをかき乱すくらいのことはできたかな。あれはあれで楽しかった。さ、国体にも当然選ばれなかったし、明日から研究頑張るぞ!この夏はカナディアン漕いであそぼうかな、なんて思ってました。
そしたら唐突に、カヌーマラソン日本代表とかいう毛ほどの価値もない資格がおりてきました。
自費で40万円払って、海外に30km漕ぎに行く?そんなクソみたいなことどんなもの好きがやるんだよバーカ!
自分です。というわけで日本代表に選ばれてしまったんですよね。どうしようかな。まあ頑張ってみようかな!
学会の申し込みしてしまいましたけど、先生にゴメンナサイして、頑張ってとも言われてやってみることにしました。挑戦です!
M1 6月
というわけで研究も頑張り、カヌーも頑張りでひと夏を過ごそうと考えていた自分です。
でも世界選手権より前に、それより大事な大会があるのでとりあえずそれだけは頑張ろうと思っていました。
はい。市民大会です。ね?世界選手権より大事でしょ?
というわけでスプリントの練習を頑張っていたのですが、突然の入院。
えええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんと水疱瘡を患ってしまい、人生初の入院です。まあ生まれた直後は別よ。
1週間個室に閉じ込められて、看護師さんに悶々とするだけの毎日でした。最高でした。
当然身体は動かず、市民は散々な結果でした。とほほ。
で、大事な大会は終えたのでここからはロングの練習に励みます。
9月に長期休暇をもらうので8月のお盆休みも関係ありませんということで、暑い日も練習と研究の繰り返しでした。
正直言って、なんど自分に負けたかわかりません。もっと頑張れたはずです。
大学のチームに所属していないとはいえ、常に誰かと競い合ってここまで来た自分にとって、一人で練習し続けるのはこれが初めてでした。
今思うともっと頑張ることはできました。人生でこれほどカヌーを頑張るのはきっと最後かもしれないと分かっていたのに何でもっと頑張れなかったんだろう。悔しいです。
まあ数少ない楽しみは月末にいくつかありましたが、非常にしんどくて楽しい夏でした。
M1 9月
いよいよ世界選手権!のその前に日本選手権にちょっとだけ出てきました。本当にちょっとです。
なんか当時の自分的には次につながりそうな感じで漕げたなと思ってましたし、今でも思っています。ただし、今日現在次はまだありません。もう期限切れだよ!
そしてとうとう世界選手権が開かれるドイツに出発しました。まあ移動は大変ですし、長いし、なんといっても飛行機が怖い。ガキかよ。
着いたのは言葉が通じない異国の地。戸惑うことばかりでした。試合にもどれくらい集中できたかは今となってはよくわかりません。
試合も、集団からかなりおいて行かれ、再開を漕いでいました。その上、極度の疲労、脱水でゴールをあきらめかけそうになりました。
それでも、ここまで来るのに10年かけましたし、数えきれない人たちに応援してもらって、支えてもらって、助けてもらってここまで来ました。それを無下にはできないと最後の力を振り絞って立ち上がりました。
文字通り最終ポルテージで最後の力を振り絞って立ち上がりmした。
完漕者の中では最下位でしたが世界選手権24位という結果を残すことができました。みんなありがとう!二度と漕ぎたくない!
その後は時差ボケに苦しみながらもいつもの日常に戻っていきました。
M1 11月
月の頭に長距離選手権がありました。一応日本代表としての肩書をもっての参加でしたが、、まあクソ。
世界選手権以降、なんかもうロングを漕ぐとトラウマが甦るというか、燃え尽き症候群というかほとんど練習してなかったので当然ですね。でも実際、世界大会の時はそこそこ早かったんだぞ!
あとはその前に高校の同窓会とか、超久しぶりのミスドの集まりとかあってそういうのは楽しかったですね。安心した。最初は怖かったけど。超楽しかったよ!大好き!
M1 12月
何がというわけではありませんがいろいろ忙しかった気がします。
上旬は大学の出張で千葉県に行き、まあこれはかなり暇だったか。
中旬には京都のダム君の家に遊びに行ったり。まあこれも遊びだから忙しいとか言っちゃいかんのか。
じゃあ意外となんもないや!
M2 3月
この月はついに就活解禁!それにプラスして学会!
まあ比較的忙しいといわれる大学院生活においても、これほど苦しかったときはありませんでしたね。
まあ仕事量が多くて大変というよりは漠然とした将来への不安。それにのしかかるそこそこの仕事。
頭おかしくなってました。でもなんとか乗り越えられて、楽しいタイミングはミスドの追いコンとか大阪の学会とか、卒業式とかありました。
M2 4月
ついに自分も学生生活最後の1年。中間審査を乗り越えてすぐに就職活動を終えることができました。よかったぁ。
かなり志望度の高い会社だしよかった。当時あんなにも入りたいと思っていた会社に週明けから入ると思うと吐き気がとまりませんわ。くそめ。
そこからはカヌーちょっと頑張ってスプスプに臨みましたがまあ付け焼刃ではどうにもなりません。3月とか全く練習できなかったしね。でも楽しかったよ!
M2 7月
ちょっと話は飛びましたね。別に何もなかったわけじゃありませんが、日々研究とカヌー、時には飲み会と楽しく過ごしてこれたのでよかったです。この夏くらいが一番前後の不安もなく楽しくのびのびとできていた気がします。
毎日が楽しくて仕方なかったですね。
そんな中市民はくそに終わってグダグダしていたら急に楽しいこともありましたが。まあ割愛で。
あとは初めて会社の仲間になる人たちに合いました。大城い奴も良そうで、あれはあれでというかまあそれなりには楽しくやっていけるかな。
そして中学生と一緒に練習してきたこともあって、最後の全中を見るために富山県へ。
超ハイレベルの試合に目がテンでしたが、そんな中でも活躍する後輩たちが誇りでした。
自分が何かをしてあげたような気になっていましたが、あんなにしっかりした子たちなら別に自分がいなくてもよかったなと、安心して寂しくなりました。
ただ悔しいレースも多くあり、自分の時なんか日にならないほどの苦しさでした。もっと力になってあげたかったけど思い上がるのはやめよう。彼らの方が悔しいに決まってる。
本当にいい日でした。
M2 9月
カヌーはそこそこに研究も少し手を休めるというかなり大学生らしいやりたい放題の夏休みを数年ぶりにとっていた自分ですが、この月からは本格的に始動です。
この時点で大学生らしさは別にない。
楽しかったのはカヌーポロの大会に出たことですね。まあ終始わちゃわちゃしてましたが、いい経験になりました。ありがとう!
そして月末は学会のために岩手県へ。みんなで脱走したりしてとてもいい思い出ができました。
これが終わると本格的に卒業を意識していろいろやらねばならない。そんな感じでした。頑張ろう。
M2 11月
この月はおでかけが多かったですね。
まずは実験をしに千葉県へ。東京大学です。これで3度目ですが、今までとやることが少し異なっており忙しい忙しい。
宿が敷地内にあるのでもはや下宿勢のノリで深夜2時とかまで実験してました。ああ普段自分は実家から大学に通っててよかった。
ただでさえ夜型の自分はもう崩壊した生活サイクルができていたんだろうなって。一応終電で家に帰るという縛りはよいものだったようです。
帰ってきたらすぐに岐阜県は長良川。長距離選手権です。練習は結構イイタイムで漕げていたのですが、やはり試合となると違いましたね。
もっと試合を意識した練習をしなくては。試合で勝つための練習だからね!
終わりにまたダムくんのところに遊びに行きました。毎年恒例だからね!昼から飲めて楽しい
M2 12月
12月になったら修士論文の作業を解禁するといってやってましたが、前半は国際学会用の作業。
いよいよ実験はしなくなり、今までの自分の成果をまとめ上げる段階に突入していました。いよいよ終わってしまう。
そんな実感を強く持ち始めた時期です。それも3か月以上前か。なんだかんだ結構経ったなあ。
国際学会は英語力の無さを痛感しましたがまあ楽しかったですね。やっぱり学会は楽しいのよ。学会に行って飲まなかった夜はありませんでした。
そして修論発表の練習や本文などを本格的に書き始め、朝から晩と言いたいところですが、昼から晩まで部屋に閉じこもり作業する日々、と言いたいところですがふらふらしまくってましたね。
年末年始も友達いないから修士論文書きまくってたぜ!っていう割には遊んでましたね。
M2 1月
年が明け、研究室での集大成である修士論文の完成まで1ヵ月となりました。
毎日パソコンの前で書き続けました。三が日とセンター試験の時以外毎日大学に行きました。
行ってない日も家で書き続けてました。
2年前の卒業論文を書くときに、大変だけどこれまでやってきた自分の成果をみんなに見てもらえると思うと楽しい、そう思いながら書いていました。
実際修士論文の時もその気持ちはありました。大変だけど楽しくはありました。
でも、これを書き上げてしまったら全てが終わってしまう。そんな寂しさも心に抱きながら書いていました。
無限に終わらないと思えるくらい長いパートもありました。クソみたいな結果しかないパートもありました。
しかし、その時はやってくるものでついに修士論文が完成しました。
やはり完成の瞬間の解放感は大したものでした。よくやったよ!
で、その夜ははしゃぎましたね。ガキみたいに。
M2 2月
まあ自分らの仕事はその論文提出だけじゃなくて、その後の修論発表もあります。結構これの方が本番って感じなのかな。3年間ないしは2年間を15分になんかまとめられないよぉ・・・いや意外ときれいにまとまりましたね
なので後は練習を積み重ねて発表するだけだ!
そのつもりでしたがまさかのインフルエンザ!この土壇場で。やっぱりもってますね。自分は。
まあ卒業できないなんてことにはなりませんが、多少無理をして予定通り敢行。
普段は発表で緊張してしまう自分でしたが、この日は全くせず。もうやるしかないんだし。頑張ろう!
カヌーの時と一緒ですね、最後はやりきるだけだから緊張せずに行けます。
自分の前後の人しか発表を見ることはできなかったので、他の人と比べてどうとか言う事はできませんでした。それはそれで悔しい。みんなの発表見たかったなあ。
週明けに大学に行くと、先生と反省会。
まあよく説明できたんじゃない?結果1位なわけだし。
最初はどっきりかかなんかだと思いましたね。ん?ワテが1位?そんなわけ
まあやってやりましたよ!
この2年間、つまりは俺流冒険王4の成果として修論審査が1位だったわけです。こんなうれしいことはありませんね。
そのためにバイトをやめたり、カヌーをやめようとしたりいろいろありました。結構な時間を研究に注ぎました。
もっと遊べました。もっとカヌーも漕げました。バイトもやめる必要はありませんでした。
でもそうじゃなくてこの3年間は研究を頑張ると自分で決めて、自分なりに頑張ってその成果が最高の評価であったんです。
嬉しくないわけないじゃないですか。頑張ってきてよかった。
でも思うんです。
結果なんてただついてきただけで。
そんなことよりももっと嬉しいことはたくさんありました。毎日の中にいくらでもありました。
自分は研究室が大好きで、研究室の皆が大好きです。
楽しくこの3年間を研究室で過ごせたこと以上に嬉しいことなんてありません。
最初は希望してない研究室化とちょっとどんよりしていたけど、杞憂に終わりました。
皆と一緒にここまでこれたから1位も取れました。他の皆だって2位とかだしね。
自分が勝てたのはたまたまかもしれないけど、そんな一緒に楽しくやって、それだけじゃなくて共にライバルって意識しながらやってきたみんなに言ってやりたい。
俺がぶっ倒してやったぜ!
ってね。
皆は本当に優秀で毎日劣等感を感じていました。それでも楽しかったのはみんなの人柄だし、それを超えられたのは俺の頑張りかな?とてつもなく手強い奴らだったよ。、
まあそんなこんなでついに学生生活最後の仕事を終えてしまったわけです。一応ここから春休み。
で、みんなと一緒に札幌に行きました!
特に何をしたわけでもありません。研究室そのまま札幌に持って行ったようなものです。
それが最高に楽しくて尊い時間でした。ありがとう。これ以上の言葉はありません。
M2 3月
いきなり海外旅行です。突然のお誘いを受けて意外なメンバーで行きました。
様々な経験を詰めてなんだか背伸びした気分です。
それが終わると実は超退屈な日々でした。
大学に行ってる間はまだましで、定期が切れて家にいるときは暇でした。
当初はカヌーを漕ぐ気力も湧かず、時間を浪費するだけの日々。
そして迎えた卒業式。
いつも通りといえばいつも通りのような日々で、ああ、こが最後かなんて思う暇もありませんでした。
最後に一人でソファで寝てるときに楽しかった日々をちょっとだけ思い出して、みんなとの別れが悲しくて泣いてました。恥ずかしい。
でも終わりはやっぱり来てしまうもので、またすぐ来るしと思いながら大学を後にしました。泣きそうになりながら。
そこからは少し元気が出たというかエネルギーが沸いてカヌーを漕いだりしてました。2日だけじゃん!
で、俺流冒険王4をまとめようかなというところまで来ました。
はい。これがまあ2年間のダイジェストです。
まあいろいろありましたが今までとは少し主旨が違うというか。こう思うと自分も変わりましたね。
特に学部生の間はカヌーばかり頑張っていたといっても過言ではありません。
高校時代はカヌーと勉強か。
中学時代はふざけることを一生懸命か。
ああ、そう思うと院生時代は研究ばかり頑張っていたので、カヌーおろそかでごめんねという感じでしたが、それぞれの時代にああたやるべきことに常に一生懸命だったんですね。
なんか急にカヌーの人たちが存在感無くなってゴメンって感じでしたがまあそんなもんか。
研究はとても好きでした。
研究室に配属される少し前に、大きな迷惑をかけてもう人とは深く関われないとか、自分だけで黙々とやっていきたいとかそんなことを考えていました。
それで研究っていうのはそんな感じで、自分のやりたいことを一人で追及できると思っていました。
でも、当然そんなことは無くて、この3年間も本当に多くの人に支えられました。
一人じゃ何もできなかったです。日々、みんなと関わり合っていくことで文字通り最高のものが完成しました。
感謝の想いしかありません。
それは研究室の皆はもちろん、先輩、後輩、先生、さらには外の友達。
当然、カヌーの仲間やミスドの友達、中高の友達。
いつも自分はステージが上がるたびに一人で何でもできる気になって、一人になろうとしてました。
だから友達出来ないんだけど。
そして、そのたびにそれが間違いであることに気づかされ、それどころか、新しい人と出会っても今まで出会った人にも支えられていくから助けてくれる人は増える一方なんですよね。
そして、当然自分も誰かを支えてあげられてるわけで、微力ながら。
自分と一緒に過ごしてる人が、少しでも同じように多qの思惟と思ってくれたらそれだけでうれしいです。
誰かが笑っていると自分もうれしくて楽しいんです。
だからもう20年くらいムードメーカーっていうかそういうキャラでい続けるのかな。
そして週が明けるといよいよ社会人になります。今までとは違う大きな変化がある気がしますが、それはきっと違うんだろうね。
だから社会人になっても、俺流冒険王5になっても、今までと同じように!
頑張れたらまた楽しい日々が待ってるんじゃないかと思います。
だから変わりませんよ!このブログも終わりませんよ!
重大発表はなんか流れでしちゃってますが、次回から俺流冒険王5が始まるだけですよ!
知ってますよね?
だから皆さんも知ってますよね?これからも自分が自分らしくいることを。
いい意味で期待にこたえられるように頑張っていきます。
これからもよろしくおねがいします!
以上俺でした5!