今週末はいよいよ
今年の音楽祭をしめくくる
バンドの発表会です
安城アンフォーレで入場無料です
ぜひお越しください!
ななんと
今年はダンスの生徒さんとのコラボがあるんですってね!
ってね!!
行くっきゃない!
きゃない きゃない!?
さて
初冬の夜長に
長話でもしますか・・・・・
今日はすごく長くてつまらない話をします
引くぐらい つまらない話をします
私は忙しい日々の合間を縫って
第2の故郷ともいふべき京都へ行ってまいりました
どうしても行きたい美術展があったからです
その帰り とある建物を見ました
木屋町の高瀬川のほとりに
コンクリート打ち放しのその建物は建っています
安藤忠雄の建築です
いまでこそ古都の風情に迎合しているのか
していないのか 微妙なラインの建物は多くありますが
昭和と平成をまたぐ頃の建築と思えば
かなり前衛的なものだったでしょう
(今ではもう歴史の一部です)
当時から
川面にギリギリまでレベルを落としたテラスは
柵もなく危険だと言われていたそうですが
そこまでして「水」との親和性を確保したかったのは
人の水との関わりを取り戻したいという意図があったとかなんとか
水といへば
盲ろう者のヘレンケラーが
井戸水に触れた瞬間に「ウォーター(water)」という
”ものには名前がある”という概念を理解したという話がありますが
おそらく 今までコップの水を飲んだことがあるので
まったく「水」を知らないというわけではないのに
冷たい水の触覚から得た感動によって
言語と物体が初めて結びついた
ということなのでしょう
長い前話でした
今日の本題は「触れる」ということです
現実世界にいながら
仮想空間やあるようでないような曖昧な世界に身をおく昨今
コロナという歴史上の魔物によって
ますます人間は人や物との関りを忘れました
しかし こうした壁を前にして
いままで当然のようにあったリアルの世界に
特別な価値観さえ抱くようになったのです
今や音楽や芸術などはAIが自動生成し
それをスピーカーや画面を通していくらでも視聴できる
だからといって人が奏で生み出す音楽を
その場で聴き共有するという行為は役目を失ったのか?
といえば そうではないのです
むしろそれが出来ることに価値があるのです
どんなにスピーカーの性能が良くなっても
VRで目の前にあるような映像技術が出来ても
本当にその場で観て聴くものには劣るのです
実際の水に触れ風を感じ
作曲者はその自然の霊感によって曲を創造し
聴衆はその音楽を肌で感じて
作者の触覚を追体験するのです
この人間だけに与えられた崇高な能力と言いますか
人間的な感性・感動・創造力
これを忘れたとき
人は人である意味を失うのではないかと思うのです
つまり
文明が進化しすぎたとき
文明が人を飲み込んだ時
人間はもう人間である必要などなくなるのだと・・・・
だから
私は文明が発達しきる前に
この現実世界にちゃんと触れていたいのです
楽器に触れ 音楽に触れ
そこで感じた感動を胸に
ちゃんと現実世界を知覚しながら生きていきたいのです
そしてそこで出会う人々の交流を大切にしながら
自分とは何なのかを知りたいのです
いま人間に必要なのは
人間らしく生きることです
人間らしくあるうちは
人間として生きている意義があるからです
そして
この教室で パピーで日々起こること
それはまさに それなのだと
私は思いたいし
みんなにも気付いてほしいのです
「現実に触れてる」という価値に
「芸術に触れてる」という感動に
なんそれ?
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