この話は以前書いたかもしれないのですが…
父方の叔父は私が一歳の時に亡くなりました。

叔父は我が家によく遊びにきて私を可愛がってくれたそうです。
私は叔父の顔や声などは覚えていません。
でも、多分雰囲気は覚えています。
可愛がってもらったこともおぼろ気に分かっています。

叔父は末っ子で可愛がられて育ち、素直で無邪気で人懐こい性格。
そして恐ろしく頭が切れて、勘が鋭く、怖いくらいに繊細で感受性が強かった。
普通の人が分からないことを分かりすぎてしまう人でした。
とにかく普通じゃないほど頭が切れてしまう人だったそうです。(母談)
そして多分…自閉傾向があったのではないかと思います。
(凸凹の凸が飛び抜けているタイプ、ギフテッドと呼べる部類だと思います)

大学で数学を研究していたが、精神に変調をきたし、自分から精神科に頼み込み何度か入院したそうです。

父が言うには数学は突き詰めると哲学と同じではっきりした解が出せない、悩む学問。
あいつは昼夜数の世界にのめり込みすぎておかしくなってしまった。
化学にしておけばあんな風にはならなかった。
(実際はどうなのか分かりませんし、そもそも私には言っている意味が分からないが汗)

叔父は数学の道を断念し卒業し就職することにしました。

とある外資系大企業を記念に受けたところ、英語の試験でこれまで誰も出したことの無いような高得点(満点)を出しました。
けれど実は全く英語が分からなかった。
英語の意味は理解出来ないが、英文をパズルとして見て法則性を解いたので全ての答えが分かってしまったとのこと。

社長直々に「こんなに優秀な人は初めてだ。ぜひ入社してほしい」と頼まれますが、
「ごめんなさい、実は僕は英語は全く分からないんです。だから入社出来ません」と。
「こんなに点数が取れているのにそんなはずはない」と何度も引き止められたそうですが、期待させてしまったことを何度も謝り、辞退したのだそう。
英文の法則をパズルのように解いただけなのだと言っても理解してもらえなかったそうです。

…勿体無い…。
叔父は騙してしまったような罪悪感を持ったのだと思いますが、優秀であることに変わりはないですよね。
確かに英語は出来ないかもしれないけれど、入社すれば別の分野で十分活躍出来たのではと思いますが…。
普通や普通よりちょっと出来るレベルなら苦手があると問題にされてしまうけれど、他に代わりがいないくらい抜きん出ている部分があれば、苦手は配慮してもらえると思うのです。
(それに多分キーになる単語の意味さえリストにしておけば、英文を読むくらいなら簡単に出来たのではと思うので…
↑私も文法も英単語もさほど覚えていないが読むのだけは意味を類推しながらそこそこ読める)


叔父は唯一受かった会社に入社しました。
上場企業ではあるもののブラックで有名な業種で、希望した会社ではなかったと思います。
(多分叔父は私と同じで面接が苦手で、就職活動もテストの点数でしか評価してもらえなかったのでは)

そこでの仕事や人間関係が上手くいかず、一年足らずで退職。
叔父は実家の農家に助けを求めます。
「僕は社会では上手くやっていけない、もう他に行く場所がないから農家の仕事をさせてほしい」
でも農家は跡取りが決まっており、二人も要らない、他に生きる道を探せと祖父が断り…。

叔父は直後に命を絶ってしまいました。


叔父が吹雪の中消息を絶ってしばらく見つからなかったので、
どこかで生きているのでは?
新天地で仕事を見つけてやっていけているのでは?
と、皆何ヵ月も駆け回って探したのだそうです。
叔父から最後の電話を受けた叔母は、叔母自身トラブルを抱えていて「今電話無理だから」と素っ気なく切ってしまったことに罪悪感を持ち半狂乱になってしまったそうで…。


その時の危機的な雰囲気を多分覚えています…。
一歳でまだ物事のよく分からない半分赤ちゃんだったけど、周りの様子は深く強く感じられるし、大人になって詳しく思い出せなくても記憶の根元的なところに深く刻み込まれている感じがします。
一歳なりに、いやだからこそ、すごくショックを受けたのだと思います。

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息子の将来を心配してしまう、息子のために最善を尽くさなくては、私が上手く育てなくては…と子育てにプレッシャーを感じる原因の1つは叔父のことにありました。
うちの親族は他にも社会に出て躓いたり、そもそも社会に出るのが怖く就職出来ず引きこもりになってしまった人達がいます。
うちの家系ははそういう血筋、社会でやっていき辛い…。
(上手くエンジニア職などについて出世しまくっている人もいて、極端ですが)
その血を継がせてしまった責任を感じていました。

私の事務職時の同僚(おそらく凸凹、本の貸し借りをするくらいの間柄)も悲しい亡くなり方をしています。
親類でもないのに詳しいことを書くのは憚られますが(親類ならいいのかという話ですが…叔父さんごめんなさい)、彼の死はもちろんですが、亡くなった後お母様から職場にお菓子が届いた時にも強いショックを受けました。
「これまでありがとうございました」と丁寧な字で書かれていて…この職場に勤めていて亡くなってしまったのに、これをどんな気持ちで書かれたのだろうと涙が止まりませんでした。

私はボロボロになった時期もあったけれど復活出来た。
でもそうなれなかった人達がいて、その家族がいる…


叔父は会社で上手くいかず悩み追い詰められていた時期も我が家に来ていました。
お給料で私にぬいぐるみを買ってくれました。

自分が上手くいかない一方で、兄弟である父は仕事も結婚もして子宝にも恵まれている…。
叔父は私達家族をどんな気持ちで見ていたのかなぁと思います。

私も上手くいかない時期があって、接客業についている間も体が言うことを効かず休職した時期もありました。
その後二回リストラされて、転職活動も思うようでなく体調も滅茶苦茶、無職で不健康で彼氏もしばらくいない私と別世界にいるような大企業の総合職でバリバリ働く友人知人たちがどんどん結婚し子供を産んでいき…。
幸せそうなフェイスブックを見るとお祝いの気持ちよりも自分のダメさを感じてため息ばかりでした。

私の存在が叔父を余計に追い詰めたのではありませんように…。

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この子は絶対幸せに生きてほしい。

発達障害の子が産まれるかもしれないと分かっていながら産んだのだから、幸せになれるように育てなくては。
それが自分の使命だと感じていました。
同僚が亡くなる前に何かいつもと違うと気付いていながら何も出来なかった過去も、息子を幸せに育てることで償いになると感じていました…。


でも、それぞれ別の人間なのだから、息子のことは息子そのものだけを見てニュートラルな気持ちで育てていかなくては、と思うようになってきました。

息子に他人の人生を投影するのは、私の「こうなって欲しい」という強いプレッシャーをかけることで、息子の息苦しさにしかならないなぁと…。
息子に他人のことを背負わせてはいけない。


あとは亡くなった人に対してもその辛さだけ、終わりの悲しさだけに注目するのは失礼なことだと思ったので。
(自分があの時ああしていれば命を救えたのでは…と思う気持ちも失礼かもしれないと思いました。※でも思っちゃいますよね…)

誰にでも好調の時期と不調の時期はあるもので、不調の時期に人生が終わったらその人生は悲しいものなのか?
人生は失敗なのか?
そうではなくて、終わりだけに注目せずに悲しみも喜びもある1つの人生として、その人の生きたことを受け入れたいと思い…。

叔父のことも私の中で昇華したいと思いまして、気持ちの整理をするためにここに書きました。


息子はただの息子としてシンプルに接していきたいです。