最もくだらない時間の消費方法の一つって何だろう。
例えば寝てばかりだとか、目標のない事だとか?諦める事だとか。
そうだな。きっと僕なら何かを、誰かを。怒り、憎む時間ほど、生きているなかで退屈でくだらない時はないと言うかも知れない。
…いや、むしろ僕は窮屈と感じるかもしれない。
だって、人を怒ったり憎んだりし続けるのは案外大変な事だから。
そう。嫌いという感覚は、どんな記憶のなかでも色濃く残ってしまうのに、自分から努力して鮮明に覚えておく必要はないんじゃないかな?
だから、僕は思うんだよ。
厭うものに意識を囚われるという時間の消費は、ひどく損した気分にならないか?ってさ。
陽が昇って、帳がおりて。
偽りじゃなく、僕の瞼が休むその時まで想っていたい事は、ニタリと笑むようなそれじゃない。春の綻びのような。それでいて秋の豊熟した果実のような。真夏の夜空に静かに浮かぶ星のようなそれなのに。
だのに、怒りや憎しみといった類いの感情は厄介だ。
忘れたくても忘れられない。
囚われたくない。消し去りたい。僕はそういうのに、縛り付けられてしまうだなんて。
あまりにも滑稽だよ。
遠ざけたいものほど、愛しいものより近いだなんて。
まるで子供の好き嫌いのようだね。
嫌いだという言い訳すら矛盾していて、嫌いだと皿の隅に寄せたそれなのに、綺麗に列べだすような。
妙に意識して、好きではないのに構ってしまう。
まったく。呆れてしまうね。そんなかわいい矛盾とかわいらしい嫌い方に。
だから、そんなかわいい矛盾で近付く嫌いを好きになるんだ。
好きではないのに構ってしまうのではなく、好きだから構って嫌われてしまう、不器用な子供のようにね。