なぜに自然に対してpureでなければ

ならないんだろう








pureに噛みつく人(笑)







その対面に強烈に悪臭を放つ世界を
感じるからだろう。








pureとおなじ輪の中に
悪臭を放つ汚れた世界が存在してる








でもわたしは思うの。








どうして汚れた世界がいけないの?







どうして混じり気のある世界がいけないの?









なぜ化学物質が混ざった世界が
全く化学物質が混じらないpureと言われる

世界より

貶めて扱われるのかがわからない。








それはただそこに存在してるだけで
上も下もないのではなかろうか。








自然だけのpureさを崇めるのは
なぜなのだろうか。







わたしもかつて自然崇拝者だったのに

もうその気持ちがわからなくなった。







自然も化学もただそこに存在してるだけ。

確かに化学物質は自然のバランスを崩し

悪さをすることも情報としては知っています。







わたしはそういう状況に対する

良し悪しを超えて

すべてを飲み込みたいのだよね。








何かを良しとし何かを排除するのではなく








ただ目の前に広がる世界を

そのまま飲みこみたい。







それによって身体を壊すことが

あったら・・・後悔するだろうけど


でも恨みはしない。おそらく。








わたしはどこまでも自分の意思で

ものごとを決めたいのだなぁ。







自然崇拝はもっともだと思う。

完全に正しいのだと思う。







でもわたしは人間が作り出した毒も

一緒に飲み込んで生きていきたい。








覚悟なんてないよ。







ただそうしたいだけ。





















わたしはいろんなダメ出しを

自分にしてるんだな。。








しみじみ思った。








でもダメ出ししてれば
本当の自分と向き合わなくて済む






ダメ出しを禁じたら

本当の自分と向き合わなければならない








その方がよっぽど気持ち悪い







本当の自分は
ずる賢くて
ルール違反しまくりで
惰性だらけで
ダラダラで(笑)








ダメ出ししてれば
自分の中でもいい子でいられる








自分を律するちゃんとした

いい子でいられる








だからダメ出しって楽なんだ

そういう面ではね。








わたしの中なんて誰もいないのに
良い子でいたがる(笑)








良い子でいるほうが安心だもんね。








でも良い子でいないほうがこの世は豊かで


わたしの世界は自然と穏やか

多様性に溢れた世界になる。








そう感じるたびに
自分の了見の狭さに気づく。








わたしは狭いわたしのルールの中で
良い子でいただけだった。








世界はもっと多様性に溢れていて

複雑で温かい。








わたしを生きづらくしていたのは
わたし自身だったのだ。








浅はかな賢さに溺れて
賢いふりをしていただけだったのだ。








自分の良い子という殻を破ったとき
わたしの殻の虚しさを感じた。








誰もわたしなりの良い子なんて

期待してなかった。








ただわたしがわたしを守りたかっただけ

だったのだと気づいた。







わたしはそのままでいいんだ。
そのままで生きていいんだ。








それを知るには
それをやるしかないんだよ。