Sojourner's Journal

Sojourner's Journal

‘人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、
花は散る。
しかし、主のことばは、
とこしえに変わることがない。’
Ⅰペテロの手紙1:24&25

新年明けましておめでとうございます。イエスさまにあっての希望の新年をお迎えのことと思います。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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母国日本は、私を生み出してくれた母国ということで理屈抜きで大好きだし、どこの誰にも批判されたくない。親や自分の生まれた家庭を批判されるのが不快であるのと同じで、これは理屈抜きの気持ちである。

 

でも、残念なことがある。それは、最近の日本の風潮なのかな?「熟年離婚」・・・

 

やはり「結婚」というものの意味を知らないと、こういうことになるのだと思う。私事になるが、私は未信徒の時に「結婚」した。もちろん「結婚」について何も知らなかったから、結婚して2年以内に離婚になった。

 

離婚という痛い経験を通して、イエスさまに救っていただいた。そしてその後、「結婚」の真意を知ったのだった!・・・それは、「神が男を創造した、その男から女が創造された、だから男・夫と女・妻は、元々は一体なのである」ということだ。つまり、夫と妻は一体として神の栄光の姿を表わすのである。それが、神のデザインである「結婚」なのである。そのことを知ったのだった。

 

このことをアメリカ人が知っているとは思えないが、だが、彼らの基盤には神の教えが息づいていると思う。一方の日本人を見てみると、結婚観がないように感じられてしまう。

 

日本人の多くが、結婚生活がうまくいく秘訣は、「夫と妻のそれぞれが好きなことをして、お互いの生活に関わらないこと」というのを聞いてきた。え?そうなの?

 

私は、結婚生活がうまくいく秘訣は、①コミュニケーション(会話)、そして②赦しであると今も思う。これらの積み重ねがない何十年を過ごしてしまうと、会話のない、赦し合いのない「熟年離婚」ということになってしまうのだと思う。

 

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主人がイエスさまの所に行ってしまってやがて1年半になろうとしている。テレビを持たないから、私たちはいつもいつも会話していた。彼の声を聞くことができなくなった今でも、こういう場面では彼はこう言っただろうなというのがよ~くわかる。彼は今はイエスさまの内に在るので、彼の声を聞くというよりも、今は私の究極の「夫」であるイエスさまの声を聞く、イエスさまと一体になってイエスさまの声を聞く、そのような日々を過ごしたいという思いでいっぱいである。

 

また、この世に思いを置いてそれに煩わされることなく過ごしたい。永遠の神の国に思いを置き、それを見上げてスクッと立ち上がる気持ちで日々を過ごしていきたいと思う。・・・やっと少し立ち上がれるようになりました。お祈りしていただいたのかもしれませんね。ありがとうございます。

 

新しい年が、皆様にとってどうか益々祝福豊かな年となりますようにと祈りつつ。

戦後80年が経過した。戦争を知らない世界中の若い世代がたくさん日本にやってきて、その良さをSNSを通して世界に拡散しているようだ。日本のいたる場所の清潔さ(特にトイレ)、交通機関の充実や正確さ、コンビニが代表する生活の便利さ、治安の良さ、日本食の美味しさや素晴らしさ、等々、私も大いに同感である。つくづく日本というのは’すごい国’なんだな~と思う。

 

と同時に、その便利さ、正確さ、清潔さ、美味しさを保つために、人の目に見えない場所での日本人による多大な努力があることだろうと思う。そのことには、海外からの観光客たちは全く気がついていないだろう。これら上に挙げた日本の良さは、素晴らしい国民性から生まれていることを改めて思う。

 

私が今回里帰りして思ったことは、多くの観光客たちと表面的には同じだが、それ以外にふたつ思ったことがあったのでそれを書き留めておこう。

 

ひとつは、昔から言われているように、日本が相変わらずの「若者文化」だということだった。繁華な場所へ行くと、若い世代が闊歩している。なぜか、年配の人たちが妙に引っ込んでいるように感じてしまった。アメリカ文化や習慣には辟易とすることが多々あるのだが、この「秩序の転倒」がない点は、高く買っている。モールやCostcoといった人の多い場所で、若い世代が「デカいツラ」をしていると感じたことが今まで一切ない。どの世代も自然に調合している感じがする。ここド田舎モンタナ州でさえ、今まで若い世代が妙に大手を振っているように感じたことはない。「秩序がある」ということは、常に心地が良い。

 

ふたつめは、日本人は体が欧米人に比べてただでさえ小さいというのに、前かがみに歩く人が多いと感じたことだった。初冬の北陸の町富山市だからかな?こちらの人たちは、大きいからか太っている人が多いからか、前かがみにならないどころか、ふんぞり返って歩いているようにさえ見えてしまう。とにかく、日本人は姿勢に気を付けた方がいいと思った。姿勢がいいということは、とても大切だと思う。生き方が表れるように思う。いくら寒くても悲しいことがあっても、いつもスクッと生きていたいものだ。

 

アニメやマンガを通して日本の文化や習慣が若い世代に紹介され、それが世界に紹介されるのはいいと思う。しかし、いつもそこに付き物なのが、訪ねている国へのリスペクトのない一部の訪問者たちである。日本人は「お人好し」で優しいから気を付けてほしい。特に海外からの人々に対しては、スクッと毅然とした態度で、誰にへつらうこともなく対等に接していただきたいと願っている。

 

そして、長い時間をかけて培ってきた日本の文化や良き習慣を守ってもらいたい。欧米の物まねは是非とも止めてほしい。ハローウィンだとかブラックフライデーだとか、もういい加減にしないと!欧米コンプレックスなど全く必要はない!日本は素晴らしい独自の文化を持っている。移民たちに乗っ取られないように、大切にしましょう!(^^)/

10日前に日本から帰ってきた。こちらの空っぽの家に戻ってホッとするというわけでもない。だからと言って日本に住める場所もなくなってしまっている。結局アブラハムのように、この世にあっては旅人(sojourner)であり、究極の国籍は天にあることを再度認識するばかりである。

 

春に里帰りした時には機中で、邦画(題は知らない)と「The Karate Kid」を見て、今回は「Good Will Hunting」と「Juror #2」を見た。・・・機内で映画を見ていると、長い飛行時間があっという間に過ぎるので大いに助かる。

 

「The Karate Kid」の中に出てくるMr. Miyagiこと「先生」、そして、「Good Will Hunting」の中に出てくる、ロビン・ウィリアムズ演ずるところの「カウンセラー」、この両者が、最愛の妻を亡くして独り苦しんでいるシーンがとても印象的だった。というのも、私はそういう男性を実世界の中でひとりも見たことがないからである。

 

日本の寡夫たちのことはよく知らないが、こちらでは妻に先立たれた男たちは、女性ハントだか、挙句の果ては同棲するのに忙しい。つくづくため息が出る。神の創造ゆえ、つまり、女性という助けなしに男性は生きられないからだろうか?

 

上の2本の映画の中で、人生最愛の妻に先立たれて、独り苦しむ男性の姿が描かれるシーンばかりが印象に残ってしまった。大きなテーマはもちろん他にあるのだが、その寡夫ふたりの姿が妙に美しく見えてしまった・・。そんな夫に愛された妻は幸せだったな。

 

もし私が先立って、主人が残されていたらどうだったかな?きっとこのふたつの映画の中の寡夫と同じだと思う。(^_-) そんな会話をよくしていたものだった。「もし私が先立ったら、どうする?他の女性を見つけたらいいんじゃない?」と私が言うと、「いや、そんなことはできないよ。君以外は考えられない」って言っていたっけな。(^_-)-☆・・・

 

彼の言葉を信じてこれで終わります。(^^♪

 

 

 

特に夫婦がそうだと思うが、長い年月を共に過ごすと、相手が何を食べたがっているか、何を考えているか、何を話そうとしているか、等々がわかってくる。なぜなら夫婦の関係・繋がりが、時間の経過とともに密になるからである。また、いつも相手の話すことを聞いているし、もちろんこちらもいろいろ話して相手もそれを聞いているから、お互いに何を考え、何を話してくるかがわかるようになってくるのである。関係の質にもよると思うが、大体30年も一緒に暮らすと、夫婦は一体化を感じ始めるようだ。

 

ちなみに、上に書いたことは友達関係でも当てはまると思うが、やはり夫婦は、共に暮らし、お互いに聞いたり話したりし、同じものを食べ、・・を何十年も続けているのに比べ、友達とはそうはいかないから、友達と一体感を持つことはやはり夫婦に比べて難しいように思う。

 

今までずっと、「神が私に何をすることを求められているのかを知りたい、神の声を聞きたい!」と思い、それを強く望んできた。そして神との一体化を強く望んできた。神との一体化とは?といろいろ考えてきた。そんな私に、最近上に書いた単純なことが示されたのだった。つまり・・・

 

神と共に多くの時間を過ごすことによって神との関係・繋がりが密になってくると、神が何を思われ、何を私に望んでいらっしゃるかが、考えなくてもわかるようになる!また、神のことばを聞く、つまり書かれている神のことばがあるのだから、それを自分の中に蓄えることによっても、神が私に何を望んでいらっしゃるかがわかる。時には、書かれたことば(ロゴス)ではなく、啓示的に示される(レーマ)こともあるだろう。それらロゴスやレーマを常に聞くことによって、神が何を望んでいらっしゃるかが、自然にわかるようになる。

 

要するに、神と共に過ごす時間によって神との関係や繋がりが深まり、神が私に望んでいらっしゃることが(ムキになって、聞こう、聞かねば!と思わなくても)わかってくるのだという、全く当たり前の結論に達した。

 

神との関係が一体化という、より密の濃いものとなっていきますように・・と強く願う昨今である。そしたら、自分の力や努力でガンバらなくても神の望むことがわかるし、神の声ももっと自然に聞こえてくるに違いないと思う。まして私の場合、「究極の主人」はキリスト・イエスである。その究極の主人と密な関係・一体化に向かって歩む毎日でありたい。関係・繋がりが密でありさえすれば、究極の主人の声はよく聞こえてくるのだ!

 

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明日11月10日から1ヶ月間里帰りをします。母と、神に在る姉妹として神のことばを中心にした会話ができることの祝福に、心から感謝致します。11月27日の感謝祭の七面鳥のご馳走は食べ損ねますが、日本でお寿司を食べられるので全く問題ありません。

ではまた12月中旬にお会いします。皆様ご機嫌よう~!!!

(1時間かけてブログを書いたのに、パソコンが機嫌を損ねて全部消えた。もう一度気合を入れて書く。)

 

ほんの少し前までは、この世は「左翼 対 右翼」だった。(今振り返るに、なんか平和だったな。)今でもそんなことを言っている人も多いようだが、最近では、「グローバリズム 対 反グローバリズム」、更には「邪悪 対 正義」「死 対 生」「サタン 対 神」と言えるほどの様相になってきていると思う。

 

不正が蔓延る昨今(マタイ24:12)、終末の様相を極めており、サタンはなりふり構わずという感じがする。自分の行方が火と硫黄の池(黙示録20章)だということを知っているのだろう。大暴れだ。

 

サタン(悪魔)の特徴として次のことが挙げられると思っている。

 

・偽りの父(ヨハネ8:44)

・偽りを本当のことに混ぜてくる(創世記3:1、5)

・蛇のようにいつの間にか音もなく(その人に)入ってくる(創世記3:1)

・光の天使に変装することができる(Ⅱコリント11:14)

・頭が良いというか、ずる賢い(幼小~若年層を初めに狙ってくる)(創世記3:1)

・プライドの塊(イザヤ書14:13、14)

・神より上にいたい(イザヤ書14:13、14)

・働きもの(敵ながらアッパレ(^_-))

 

高市政権もグローバリズムに立つ限り、希望はない。移民と難民という語をごっちゃ混ぜにして移民政権を推し進めるらしい。ウクライナ支援続行とかいうトンチンカンなことを言っている。日本の将来が心から心配だ。日本がアメリカと対等に対峙できる時がいつかくるのだろうか?先のトランプ来日時では、高市首相は完全に「従」の姿勢だったと思う。全く対等ではなかった。ただの日本の美徳でもある「おもてなし上手」という感じだったから残念だった。

 

(不法)移民、LGBTQ、ジェンダー(性別)の混乱、更にタッカー・カールソンによれば、AIもサタンに支配されているということだ。実にコソコソと私たちの中に入り込んでくるものだ。

 

霊の闘いは目に見えない。だが、闘いは常に行われている。エペソ人への手紙6:13~17にあるように神の武具を身に着けて、神の勝利の上にしっかりと立ち、日々を神の守りの内に過ごすものでありたい。

 

ところで、一昨日の夜はサタンが大手を振るった。ハローウィンというアメリカ人のバカさ加減を表わす行事だ。日本人の若者たちがサタンに騙されてこのバカげた行事を真似しているらしいが、やめて!!!日本は仮装大会らしいが、アメリカでは、先ず子供をキャンディーで騙しにかかってくる。サタンのいつもの手だ。・・・イースターもエッグ・ハントやイースター・バニーで子供を騙し、クリスマスもプレゼントというもので子供を騙す。それに簡単に引っかかっている大人も大人である。そういう私もそのひとりだった。神の前に、無知という罪を心から告白している。ごめんなさい、神様。。。知らなかったで済まされないと思う。

 

サタンも神が作られたものであるが、敵が手強いほど神への信仰が強められると思う。信徒たちもボーッと騙されていないで、このSpiritual Warfare(霊の闘い)を、きちんとした覚悟を持って過ごしていきたいものである。