引き続きアパートの一室には

 まだ中身違いで潜んでるでしょう。 




2019年西区のアパート契約者の

大学生。 M田(仮名)
妹1人あり。

この主人公になるM田の

父親となる男性はやはり

暴力団に近い生業をしている

人物像に近いでしょう。

そうすると考えられるのは

①まず大学ではない。
(アパートの借り方書類の偽造の部分)

②身分証明書の偽造まで
 想像出来る見解。

※何故ならニュースで暴力団員関与の
過去の事件簿に運転免許証の
偽造が取り上げられた事です。

④見た目から言わせれば
西区のアパートのとなりに住んだ時は
 24,5歳くらいには見えた事。
2023年には30歳にはなる
 可能性が高いという事です。


➄何かが繋がるのは、やはり西区。
2019年。私が働いていた
ショッピングセンターの
食品のアルバイトの大学生が
妙な勧誘のように
 隣のM田の部屋に呼ばれていた事。

もしかしたら大学が
キーワードになる場所が
博多区の被害にあわれてる方の
近くに一箇所あるかもしれません。
(同じ名を博多区で使っていたか?)

例えば博多筑紫口から裏手
山王公園辺りは賃貸物件が多く
その裏手から自転車で行ける距離に
区違いで大学キャンパスが
ある事から、M田姓はやはり
区違いの大学に何かしら関係する
別人の名前に近いかもしれません。
(身分証明書偽造の場合)

"この場所にM田の実母と叔父と
仲間性が居る可能性あり"

実母と叔父の関係性が
兄妹の関係が成り立つ可能性が
あるなら、実母の兄妹性をも
疑うべきでしょう。

博多区を拠点とする暴力団入団の
重要人物となりえるでしょう。

暴力団事務所は各拠点に点在すると
インターネットで私なりに
調べた結果、南区にも拠点があるのを
目にしました。その人物は
◯◯会入会ありと考えるべきでしょう。


もし本人の身分を隠す事件性だと
だとしたらM田は本名と本当の住所を
 隠す必要があるでしょう。

M田本人は車の運転をしていたので
M田自身の本当の免許証が
一回は発行されてるはずです。

※2019年に西区に現れた
親や血筋が非常にお酒を飲む
酒やけの声をしていたので
アパート内でも持ち込んで一緒に
飲みながら、運転をしていた
可能性も見受けられるところから
飲酒運転で過去に免許取り消しを
された可能性もあるでしょう。
だとしたら3年以上今の現状
篭ってますので、その可能性が
非常に高いような気がします。
2019年には信じられない事ですが
無免許の状態で運転をしていたの
かもしれません。もしかしたら
そのからくりは、一度発行された
本人の写真付のベースを使用した
免許証偽造の疑いが
かなり深くなるでしょう。

免許証の写真の顔認証
M田の本当の住所と
氏名が割り出されるほどの
 事件性な孕んでるかもしれません。

もちろん今現在の
アパートの契約者にも
からくりがあるでしょう。


大切なのはM田の父親となる住所。
(現住所)
そして前記事に書いた
ハングル語を話す姉弟が送った
引っ越しセンターに登録された
 住所が特に重要となるでしょう。

博多区の警察の立件などから
博多区が気になる所です。

やはり身内にあたるM田の父親の
兄弟や従兄弟さえも
視野にいれるべきでしょう。
何故なら実母が
従姉妹になる可能性が
出てくるかもしれません。
 (つきまといの顔)
M田の実母の旧姓も
気になるところです。


電磁波となる兵器のような
妙な存在と、麻薬密売人を抱える
日本人の存在など
重要な住所となりうるはずです。

2023年の11月現在も
まだアパートの中に
ハングル語の姉弟と潜んでいる
でしょう。赤ちゃんの存在は
アパートの中で消えたままで
何とも不気味です。



 赤ちゃんの母親となる女性。

ハングル語を話し弟妹の
 三人姉弟の姉。
消えた泣き声の赤ちゃんは
 M田が父親と言ってよいでしょう。

何故なら2019年5月から
今現在までM田兄妹と
 暮らしているはずです。

2020年の9月頃には
アパート内の泣き声が
 止まってしまった事。

私の見解からすれば
三人姉弟は、戸籍も危うい
韓国の密売人の父親と
日本人の母親の間に
 生まれた姉弟でしょう。

年は正直なところ30歳は
 超えているはずです。

生まれ方が最も危ない
 赤ちゃんかもしれません。



非常に痩せた年配の女性は
ハングル語の姉弟と一緒の場所から
やってきたはずです。

M田兄妹2人とハングル語の姉弟
3人。そして必ずこの年配の
 女性は一緒に連れそっているはず。

今は西区の親や数名の仲間性を
どかした人数で、必ず6名は
いるはずです。

密売人の一家性ともいえる
本物の家族でもある顔ぶれも
いますので、薬物使用の可能性は
非常に高いでしょう。

生まれた赤ちゃんは早産をも
想像出来るほどです。


病院は無く、母親の手を借りて
産んだ小さな
赤ちゃんを想像します。