パット・メセニー(Pat Metheny)との出会いは1990年ころだと思う。テレビで何かのジャズフェスティバルのようなものを放送していたので見た、というか、その時見たのがパット・メセニーであるという確証がないので、見たと思われるというのが正しいだろう。
 たしかサンバのような疾走感のあるリズムにパンフルートのようなシンセサイザーが乗っていて、途中でリズムが変わってゾウさんの鳴き声みたいな音のギターシンセサイザーがソロを演奏するような曲であった。なんかカッコいい曲だなあと思ったけど、当時はジャズやフュージョンに関心がなかったので、バンド名や曲名は気にしなかった。
 後でなぜかその曲を聴きたくなったのだが、曲名もアーティスト名も分からないので探しようもなく、何度か悶々とした気分になった。
 そして、中古CD店で Still Life (Talking) というアルバムを購入するのだ。今となってはTVで見たあのバンドとはっきり認識して買ったのか、他の動機で買ったのか、そのあたりすらはっきり覚えていない。
 衝撃を受けたとか人生を変えられた等、ミュージシャンとの出会いをドラマチックに表現する文章があるが、オイラとパット・メセニーの出会いはその真逆であったのだ。最初は何が良いんだかよく分からないけど、何となく聴き始めて、そのうちドツボにはまっていたのである。

これがその時見たものだと思われる。
上での説明の箇所は3:25辺りから


 その前オイラはジャズは聴いていなかった。ジャズには音楽を作る人間の思想や感情が感じられず、サウンド的にも室内楽的・類型的であり、壮大感や色彩感が感じられなかったからである。凄いテクニックでカッコいいけど、だから何?ってな感じである。
 この頃のオイラは音楽の演奏や曲作りなどを一番積極的にやっていた時期である。ポップなハードロックバンド(オイラは勝手にプリンセスプリンセスみたいなサウンドと思っている)でキーボードを担当し、ヤマハのSY77という約30万円(よくこんなもの買ったものだ!)のシンセサイザーを購入して曲作り(約16,000音の演奏データを記録できるのだ)を行っていた。
 オイラは音楽の高等教育を受けていないので、楽器の練習に苦労したし、知識もないくせに作曲のまねごとをして生みの苦しみを味わった。バンドの練習の時は自分のシンセサイザー2台、8Uのラック、キーボードスタンド等を練習スタジオに持ち込んでいたが、重いしセッティングも大変であった。
 オイラは何かやり始めて最初は面白がってやるが、だんだん面倒くさくなってやめてしまうことが多い。音楽活動でもこれは例外ではなく、何故こんな苦労をするのだろうと疑問を持ちつつ(でもやっぱりやめられないで)活動をしていたものである。それ故かジャズの何が言いたいのかわからないという所はオイラには受け入れられないものであった。
(逆にジャズの持つ演奏のかっこよさにプレイヤーとして憧れるアマチュアは多いだろう)

 パット・メセニーはオイラの持っていたジャズに対する上記のようなイメージに当てはまらない音楽である。中古CD店で購入したStill Life (Talking)の Third Wind という曲のはおそらくテレビで見たものであり、その疾走感やスリリングさは記憶のままであった。
 全体的にはラテン音楽っぽいが、暑苦しくなくて草原のような爽やかさを感じる音楽である。また、1曲ごとの表情が多彩で、そこには何か様々な事を表現しようとする意志が感じられる。
 要するに感情に来ない音楽ではなく、感情に来る音楽なのだ。そこがオイラのようなジャズ初心者でも受け入れられるものであった。
 オイラはこの後『ジャズは聴かないけどパット・メセニーは好きだよ』という時期がしばらく続き、パット・メセニーのアルバムを何枚か聴いていくのであった。

Still Life (Talking)/Nonesuch
¥1,481
Amazon.co.jp