続きです。復習したい方は (1976) Renaissance - Live At Carnegie Hall (その1) をご覧ください。
また邦楽(J-pop)ではこんなに美しい音楽って全く思いつかない(オイラがJ-popがあまり聞かないためというのも勿論あるだろうけど)。きれいな曲は一般Peopleにはあまり好まれないのだろうか?それは何か妙な感じである。
クラシックだとシベリウスの交響曲6番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章とかいろいろ思いつくし、そういった曲は普遍的な人気を持っていると思うのだが。
ここでオイラは2つの疑問を持つのである。
疑問その1.こんなに美しい音楽がなぜ一般的に人気がないのだろうか。
疑問その1.こんなに美しい音楽がなぜ一般的に人気がないのだろうか。
きれいな曲と言えば、洋楽のロックでは例えば下の動画のような曲を思い出すが、これらのアーティストも全ての曲がこんなにきれいではないのだ。ルネッサンスは美しい曲ばかりなのだ。
スティーブ・ハケットのスペクトラル・モーニングなのだ
『ピート・シンフィールドの動画である』というのも凄いのだが、
バックのメンバーもプログレファンおなじみの人が沢山いるのだ。
スティーブ・ハケットのスペクトラル・モーニングなのだ
『ピート・シンフィールドの動画である』というのも凄いのだが、
バックのメンバーもプログレファンおなじみの人が沢山いるのだ。
また邦楽(J-pop)ではこんなに美しい音楽って全く思いつかない(オイラがJ-popがあまり聞かないためというのも勿論あるだろうけど)。きれいな曲は一般Peopleにはあまり好まれないのだろうか?それは何か妙な感じである。
クラシックだとシベリウスの交響曲6番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章とかいろいろ思いつくし、そういった曲は普遍的な人気を持っていると思うのだが。
シベリウスの6番
ラフマニノフのPコン2番2楽章
疑問その2.ルネッサンスがロックに含まれるのは何故か。
美しい音楽を奏でるルネッサンスはどうしてロックに含まれるのだろうか。
ロックっていうのはもっと激しい音楽ではないのか?
実を言うとこれはルネッサンスを知って以来(つまりオイラにとっては1975年から)続いている疑問であり、未だはっきりした答えを出すことができない。
ロックという音楽は、(主に)若い世代の世の現状に対する不平不満を訴えるたり、感情の不足部分を充足させるために存在すると考える。
現状に対して適当な折り合いをつけて妥協するのではなく、もがき苦しみながらも現状を打破して、自分あるいは聴衆を新たな秩序に巻き込もうとする試みである。
そこには若い世代のエネルギーがぶつけれられ、強い感情・欲望・衝動から発せられるものである。だからロックは大音量であり、激しくて歪んでいる音を発するものが多いと考える。(ぷにょぷにょ)
現状に対して適当な折り合いをつけて妥協するのではなく、もがき苦しみながらも現状を打破して、自分あるいは聴衆を新たな秩序に巻き込もうとする試みである。
そこには若い世代のエネルギーがぶつけれられ、強い感情・欲望・衝動から発せられるものである。だからロックは大音量であり、激しくて歪んでいる音を発するものが多いと考える。(ぷにょぷにょ)
これはオイラのロックに対しての基本的な考え方である。
これを踏まえて、ルネッサンスがロックに含まれる理由を考える。
1)ロックの精神で美しい音楽を演奏しているから。
プログレ以前のロックは表現する対象が直接的だったのに対し、もっと複雑・抽象的なことを表現するための手段としてプログレッシブロックが生まれてきたと思います。(ぷにょぷにょ)
その試みの中で、今までの概念を打破するスタイルの音楽が多く生まれ、その1つとしてルネッサンスもある。
2)ギター、ベース、ドラム、他によるロックっぽいバンド形態で演奏されるから。
3)ロックの世界で活躍してきたメンバーにより結成されたから。
オイラとしては一番上の理由が最も強いけど、なんとなく違うような気もするし、他のものも納得できるような気もするが、全部見当違いというような気もしないでもない。そもそもロックというのは激しい音楽であるとの認識自体が誤っているのだろうか。
そんな訳で、この2点については今回も疑問を解決することができなかった。
そんな訳で、この2点については今回も疑問を解決することができなかった。
なにか意見などがありましたら御教示くださいますよう、お願い致します。
つづく
つづく