今日、娘2人を連れて、プーと大人になった僕を観てきました。宣伝などで、ある程度のストーリーが予想できましたが、予想を裏切らないストーリーで、しっかり泣いてきました。

小学五年生の娘は、ストーリーが始まった途端に涙が止まらなかったそうで、最後まで泣いていたそうです。理由は何故かは分からないそうですが、彼女の中のどこかに繋がったのでしょう。
連れて行って良かったと思いました。

映画の中で、「何もしない」というワードが何度も出てきました。

「何もしないって、最高の何かにつながることなんだ」

「毎日何もしないをしてるよ」

「何もしないのをするので忙しい」

などが、中でも印象的でした。


私は、シングルマザーでフルタイムの残業バリバリの仕事をしていたので、毎日、分刻み、時に秒刻みの生活をしていました。
休みの日は、子どもをどこかに連れて行き、何かをしていないと、全く落ち着きませんでした。

第二次ベビーブームと言うのですか?
団塊の世代のジュニア世代で、その頃の教育は、生産的で、効率的で、競争に勝ち、たくさん働くのが美徳とされていました。
だから、私は競争に勝ち抜いて、難関の門をくぐり抜け、子育てするに至るまで、ダッシュで走ってきました。

ふと気づけば、自分がいくら頑張っても、どうしようもない事に四面を囲まれていました。子どもの熱で休む、2人の子どもが順番にインフルエンザにかかる、子どものお迎えで仕事を切り上げる、子どもが朝からぐずる、出勤2秒前に子どもが便をする、保育園の休園日に出勤、勤務時間外の会議…など…
身体と時間を後2人分は欲しい気持ちで毎日を過ごしていました。いや、忙しくてほとんど記憶がないと言った方が近いかも知れません。

気づけば、夜眠れなくなり、朝は少しずつ起きられなくなり、涙も止まらず、吐き気が続き、耳鳴りや、動悸や、食欲不振、蕁麻疹、過呼吸などの症状が出てきました。
出勤も出来ず、とうとう仕事を休む事になりました。

休む事になったのだけれど、家で何もしないをしていると、ものすごい罪悪感に苛まれるのです。
最近まで、実は今でもどこかで、何もしないをする事を、ダメな事だと捉えてしまっていました。

それは、本当の私の姿ではなかったのです。何故なら、社会、教師、親の価値観を生きていたからです。だから、映画の中での

「何もしないって、最高の何かにつながることなんだ」

といったセリフに、救いを求めていたのだと思います。

そして、これからは、

何もしないをして、素晴らしい私で居てもいいし、それに飽きたら
何かをして、楽しみ、素晴らしい私で居てもいい。


自分が自分であること以上に大切なことなんて、ないのですから。