2022年夏の甲子園は仙台育英高校が優勝した。と、テレビのニュースで知った。新聞なども優勝旗が初めて白河の関を越えたと妙にはしゃいでいる。決勝の対戦相手は、僕の生まれ育った街にある高校だった。

 その高校は、ぼくが高校生だった頃は下関高校と言う名称だったけれど、おそらく市民の誰もがその高校のことを下高とか、下関と略すことはなく、なぜか「電子」と呼んでいた。なぜそう呼んでいたのかは知らない。その高校の最寄駅となる新下関駅も、当時は長門一宮駅という名称だった。住吉神社が近くにあるからだろうと思う。詳しく調べたことはないけれど、由緒ある神社のある駅らしく、静謐な雰囲気があった。長門一宮駅周辺は、その高校と住吉神社、そして畑しかないような自然豊かな場所だった。今は新幹線が停まる駅らしい佇まいで、マンションやファーストフードのチェーン店が立ち並ぶ街になっている。

 若い頃は高校野球はかなり好きなほうだったと思う。下関球場や宇部球場に足を運んで、団扇をあおぎながら首にはタオルを巻いて、地方予選を楽しんでいたりしたものだ。

 地元で暮らす同級生からの情報によると、下関国際高校の先発18人のうち、下関市内の中学校卒業生は0人で、山口県内中学校出身者がかろうじて1名とのことだった。おそらく仙台育英高校も同じような選手事情だろうと推測される。

 これはとりたて最近の傾向ではなく、珍しくもなく、私学では当たり前のことだ。だから甲子園で催される全国高校野球大会にはほとんど興味がない。高校バレーも高校サッカーも高校ラグビーも同じだ。全国大会になると全く興味が削がれてしまう。どの地域の代表であれ、稀に公立高校が出場していると、密かにその学校を応援したくなる。他所からスカウトしてきた特別待遇選手ばかりの地域対抗スポーツ大会なんてものはなくなってしまえと思っている。

 にもかかわらす、我が町のほこりだとか、熱狂している方々の報道を聞いたり、読んだりすると、アホらしいと思ってしまうこのヒネクレ根性は、歳をかさねても変わらない。