連日の猛暑だ。外に出ているだけで、何もしなくても頭がクラクラしてくる。かと言って、戸建住居に棲みついているかぎりは、家の外でしなくてはならない作業はあるもので、伸びてくる雑草を刈ったり、花木に水を遣ったり、玄関先を掃除したり、ウッドデッキを掃除したりと、給与を貰う仕事についていなくても、無給の仕事は山ほどあるのである。

 大きな組織のサラリーマンなんてものは、ある意味サラリーマンをしている限り、人々が暮らしていく上で地味で目に留まりにくい「やらなければならないこと」からの免罪符のようなものか、と考えることがある。大組織勤めのサラリーマンは、70歳過ぎたら地域に奉仕しろよと思ったり思わなかったりである。

 真夏真っ盛りの今日この頃、炊事をしながらふと頭に浮かんだことがある。

 そういえば、ぼくが小学生の夏休みは、10時になるまで外に遊びに出てはいけません、とのルールというか、学校の指導があったように記憶している。だからラジオ体操の終わった6時50分くらいからは、10時になるまでひたすら家の中で、朝ごはんを食べて、弟と遊びながら有り余るエネルギーをどうにかこうにか発散して、9時30分くらいになるとほとんどカウントダウンのように時計を何度も確認して、10時になると家を飛び出るという生活をしていたことを、ふと思い出したのだった。

 急いで外に飛び出て何をしていたのかはほとんど覚えていない。近くの公園(というか砂場や鉄棒やブランコがあるだけの広場だ)で毎日なにか遊びを作り出しては、何かをしていたんだろう。書いているうちに思い出した。トンボやセミをとるためにハエ取り紙を竹の棒の先にぬすくりつけて、それを担いで山の中を歩き回っていたのがいちばん長い時間だったかもしれない。

 仕事をやめて年金生活になった今、真夏の8月は、朝の早いうちだけ外に出て作業をし、10時ともなると暑さに負けて家の中に引きこもる毎日だ。