昨日のことだけど、久しぶりに「ほぼ日 今日のダーリン」を読んだ。と書くと自発的になってしまうから正直に書く。実は右手の親指がiPhoneのメニューにあるアイコンを間違えてタップした。加齢のせいばかりするのは癪だけど、最近はついつい少し右側をタップしてしまう癖があって、Amebaを押したつもりがその隣にある「ほぼ日」を押してしまったようだ。乱視が進んでいるのかもしれない。

 そこにはフォーク歌手イルカが歌っている「なごり雪」の歌詞について書かれたコラムがあった。なんでも「なごり雪」は学校の卒業ソングとして今も歌い続けられていて、さまざまな歌手の方々がカバーしているそうだ。

 糸井さんが歌詞の中で着目していたのは「ふざけすぎた季節」についての言及だった。どんなことが書いてあったかはここには披露しません。今日中だったらまだ読めます。明日はもう読めません。それは糸井さんのポリシーのようです。

 さすが糸井さんは超一流のコピーライターさんだなぁと感服してしまったわけである。常々、自分と同じ誕生日の有名人として誇りに思っている糸井さんだ。もうひとり同じ理由で勝手に誇りに思っている有名人にエンニオ・モリコーネさんがいる。話がずれた。

 糸井さんのコラムを読んで「なごり雪」の歌詞を頭の中でさらってみた。僕はこの歌の歌詞をネットで調べたりしないでも頭の中で歌えるのである。ちなみに作詞作曲は伊勢正三。

 「汽車を待つ君の横で僕は・・・」「東京でみる雪はこれが最期ねと・・・」とある。この2人は東京のとある駅に居ることは誰にでもわかる。汽車?とぼくは改めて不思議になってしまった。電車を待つことはあるけど汽車を待つなんて、2人はどの駅に居るんだと気になってしょうがなくなった。八高線だったら当時汽車が走っていたかもしれないけど、そんなところでさよならはしないだろうし、ほとんどの人は八高線沿いを「東京都」ではあっても、「東京」と日本全国の人々に語って欲しくないことくらい、伊勢正三さんの出身地に近い地方からやってきて在京30年近いぼくにでもわかる。「東京」と語る場合、最低でも23区内でないといけない。吉祥寺でさえ「東京」ではなくて多摩と呼ばれる。変だなあと未だに感じるんだけどそうらしい。ずっと年長の人は都下なんていう場合もある。

 調べてみたところ、2人が居るところは東京駅だった。そして待っている汽車は夜行寝台特急列車。たしかに汽車だ。東京だ。情感に溢れている。僕の頭の中から夜行寝台の存在が消えていた。かれこれ30数年前、最初の東京転勤で僕は寝台特急あさかぜに乗って東京駅に降りたのにも拘わらず忘れてしまっていた。情けなくなった。東京駅は新幹線しか想像できない頭に成り下がってしまっていた。


 「なごり雪」もいい歌だけど、僕は「君と歩いた青春」のほうが好きだな。