*リアルタイムはブルガリア、ソフィア
【2014年11月3~5日】
ブルガリアに来てわずか2日だけど、次の国ルーマニアへと向かった日。
ルーマニアと言えば・・・正直東欧で一番暗いイメージを持っていた。
数年前にあった日本の女子大生殺人事件のイメージが強かったからだと思う。
それにネットで色々調べても治安が悪すぎるとの情報ばかりが飛び交っている。
ところが!
行ってみるとルーマニア、なんて素敵なところなの( ゚Д゚)!!
ルーマニアの旅を終えてみると、この国は私の中で中・東欧を回った11か国で一番好きな国になったのだった。
ここからは列車に乗ってルーマニアの首都ブカレストを目指す。
列車はこんな感じできれい^^
まずは9時20分発でルーマニアとの国境の町ルセへ向かう。
ルセ到着が13時頃
の予定だったんだけど、なぜか列車が途中の駅までしか行かず、そこからは全員でバスに乗り換えてルセの町まで向かうことになった。
ルセまで向かう道は緑が多く、景色もとても良かった。
13時半頃、ルセの駅に到着
ここで14時半のブカレスト行きの列車に乗り換える。
すぐに国境に到着し、パスポートチェックがあった。
地味に驚いたんだけど、アジアだと出入国の際全員バスを降りてイミグレに並びに行くのだけど、ヨーロッパではほとんどの場合、国境の係員が列車やバスに乗りこんでチェックをしにくる。
不法入国を防ぐ為だったり、列車だとその方がチェックをしやすいというのもあるのかな。
なんにせよ私たちは寒い外に出なくて良いし、長蛇の列に並ぶ必要もないので本当に楽チン^^笑
このノルド駅、めちゃくちゃ治安が悪いというウワサを聞いていた( ゚Д゚)
とにかく物乞いやジプシーだらけで、偽警官が悪事を働き、スリや強盗も多発しているという・・・。
ちょっとビビッていた私たちだったけど、昼間の印象としてはまったく普通の駅のように見えた。
普通に人々が行き交い、スーツケースや大きなカバンを抱えてどこかに旅行に行く家族がいたり、若いカップルや女の子たちもたくさんいた。
ファストフード店もいくつか入っていたので、安心した私たちはKFCで夜ごはんを食べてから、地下鉄に乗り込んだ。
この地下鉄も決して雰囲気が良いわけではないけど、普通に気を付けていれば安心して乗れる。
1回乗り換えて、町の中心部のピアタ・ウニリイ駅で降り、予約したホステルへチェックインを済ませた。
ホステルのベランダからは町を流れる川と、夜景が見えた。
町のど真ん中にあるショッピングモール
ファストファッションブランドが勢ぞろい&スーパーが充実している。
夜の町を歩いても治安が悪い感じはあまりしない。
紅葉が綺麗な遊歩道を散歩してから宿へと戻った。
翌日、ブカレストの町を歩いてみた。
石畳にオシャレなレストランやバーやカフェがたくさんある、いかにもヨーロッパな雰囲気の道がいくつもある。
女性は美人が多いし、オシャレさん。
「ヨーロッパってこんな感じなんだね~!」とピザヤと二人きょろきょろしながら道を歩く(イナカモノ!)
どれも中世の時代からそのままあるような風貌をしてる。
これは市庁舎だったかな?
ブカレストの町には公園が多く、どこも綺麗に色づいた紅葉が見られた。
秋の東欧に来たかったのは、紅葉が見たかったから。
ヨーロッパは秋と春が美しい、きっと。
そういえば、英語で「紅葉」っていう言葉はないんだってね。
オススメの場所などを聞かれて、「紅葉が綺麗だったよ!」って言いたい場合、いつも困る。
「赤い葉や黄色い葉がとても綺麗だよ。」みたいに言う。
紅葉って言葉は便利だね^^
それか私が知らないだけで他に何か言い方あるのかな・・・。
町を流れるドゥンボビツァ川
カモメにパンをやるおっちゃん^^
庶民的なルーマニア料理のお店に入ってお昼を食べることに。
よく分からないので適当にチョイス!
サーモンのフライと野菜炒め、マッシュポテトのようなのは「サルマーレ」といって、ルーマニアの定番メニューらしい。
トウモロコシと牛乳から出来ているらしく、ちょっとお菓子みたいな感じ。
スープは中に内臓が入っていた( ;∀;)
「チョルバ・デ・ブルタ」という牛の胃袋入りスープだったみたい。
チョイスが失敗したのか・・・どれもいまいち美味しいと思えなかった。
ルーマニアが治安が悪いのにはきちんと理由がある。
ニコラエ・チェウシェスクの独裁政権で国が混乱に陥り、たくさんの死者や不幸な子供を生みだしたからだ。
チェウシェスクが独裁者として君臨していたのは1989年までの24年間
一番社会問題の元になったのは、離婚と中絶を法律で禁止したことだったそう。
国の人口を増やすために制定されたこの法律だったのだけど、これがむちゃくちゃだったらしい。
・中絶は42歳以上の女性、もしくはすでに4人(のちに5人に変更)以上子どもを持つ母親のみ許される。
・5人以上子どもを産んだ女性は公的に優遇され、10人以上の子持ちともなると「英雄の母」の称号を与えられる。
・離婚は一部の例外を除いて禁止。
闇医者によって行われた中絶で障害を負ったり、死亡するケースも頻発した。
離婚も中絶も禁止、そうなると親は子供を育児放棄するようになった。
産んですぐに子を捨てる親が続出したらしい。
そしてこの子供たちがほんとにかわいそうで・・・。
施設に入れた子も十分な栄養も与えられず病気になり、無理な病気治療のひとつとして大人の血液を輸血され、エイズに感染してしまった。
(子供を死なせた場合、その孤児院の職員の給与が減らされる)
そしてほとんどの子はストリートチルドレンとなってブカレストの駅周辺で暮らしていたんだそう。
しかも独裁政権時代はその子供たちの存在もメディアでは伝えず隠していたそう。
そんな子が大人になったら、生きていくためにも当然色々悪さをする。
「チェウシェスクの落とし子」と呼ばれた彼らはルーマニアという国最大の被害者で、社会問題でもあったそう。
1989年にルーマニア革命が起き、独裁政権は崩壊。
その後チェウシェスク夫妻は処刑されたそう。
約1,500億円をかけて造った大宮殿で、3,000以上の部屋があるという。
国民の館といいつつ、もちろん自分たちの為に建てた宮殿だったそうな。
今はその宮殿の中をツアーで回ることが出来る。
あまりにも広いので、中庭ツアーとか、1~2階を見るツアーや地下も見れるものなどいくつか種類があった。
私たちは外庭だけ見て中には入らなかった。
市民が革命を起こしたという革命広場にある、旧共産党本部と慰霊碑
市民は銃弾を浴びながらも死にもの狂いで政府と戦ったのだという。
広場の前にある国立美術館の柵には、当時の様子を写した写真があった。
広場にあるクレツレスク教会
独裁政権が終わり25年
私たちから見ても少し暗い影の残る町だけど、知り合ったブカレストの人はみんな明るくて優しかった。
ルーマニアに来るまで「チェウシェスクって誰?」って感じだったけど、この問題を知ることが出来て良かったなと思う。
この後、私たちはドラキュラで有名なあの町へと向かったのでした。
【費用メモ】
・ヴァルナからブカレスト 列車代1人35.7レフ(2,600円)
・ノルド駅からピアタ・ウニリイ駅 地下鉄代1人5レイ(約160円)*2回分
【ホテルメモ】
・Antique Hostel
1泊ドミ 32レイ(約1,000円) 朝食込
*Booking.comにて予約
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