この日は雲一つない晴天![]()
久々に浜松城へ行ってきました![]()
目的は別のところですが・・・
その目的とは
まだ一度も行ったことのない奥山線の跡地です。
浜松城公園の駐車場から歩いて数百メートルのところにあります。
ワンコと歩いて数分で到着![]()
奥山線はもう何十年も前に廃線になり今では裏観光スポットでもあります。
開業は大正3(1914)年(当時、浜松軽便鉄道)で、9年後には、奥山までの全線が開通。
現在は遠州鉄道といって新浜松駅から西鹿島駅までの一路線だけになっていますが、当時は現在新浜松駅より少し離れた所に遠鉄浜松駅があってそこから三方原、金指、気賀、井伊谷を経て、奥山(引佐町)へと続いていた遠州鉄道奥山線があったんですよね。
線路の幅が狭く、かわいらしい小さな車両は、人々に「軽便」と呼ばれ親しまれてたそうです。
住民や奥山方広寺への参拝客などの足として活躍していましたが、乗客数の伸び悩みや、施設改良に高額を要することなどから昭和39(1964)年10月31日、惜しまれつつも50年の歴史に幕を閉じました。
っということで私が生まれる以前の事なので全然知りませんでした。。
現在は浜松城公園側から遊歩道として整備されています!
なぜかあまりテンションが上がらない2ワン![]()
トンネルが嫌なのかな〜
トンネルを歩くのは佐久間ダム以来です!
入り口には当時の写真があります。
ではトンネルへGo!!!
思った以上に幅が狭く小さい車両で軽便と言われるだけの事はあります![]()
入るの拒否すると思ったらすんなりと歩き出しました![]()
ちょっと不安気な表情になってました![]()
トンネル内部には当時走っていたSLや軽便電車の写真パネルが所々に掲示されています。(4枚まとめました)
写真は、大正4(1915)年10月、浜松市立浜松高等女学校(現・浜松市立高校)の生徒400人を乗せたラッキョウ軽便。
煙突の形から、ラッキョウ軽便と呼ばれていたらしいです。
こっちが通常車両(キハ1803)![]()
時代を感じますね!!
トンネルを抜けた所で![]()
こっち側は日陰が多く勝手にコントラスト強めな画像になってました。(全部 iPhone撮影)
なんかタイムスリップしたかのように風景が変わります。
トンネルを向けて先へ進むとこの様なモニュメントがあります。
天気が良くお昼前なのにこんな感じです![]()
所々の柵が車輪になってます。
さらに先を歩くと広沢トンネルがあります。
ここは短いけど大きめです![]()
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ちなみにこのトンネルの上には浜松市立高校があります。
さらに先へ行くと当時の車両をイメージしたオブジェがあります。
これ実は滑り台です!!
まだまだ先に進めますが歩くのも限界があるので引き返して浜松城へ向かいます![]()
奥山線跡、
行ってみて良かったです![]()
なんか現代に戻ってきたかのようです。
では浜松城に向かいます![]()
シイナは問題なく石の階段を降りれますがマロンは苦戦してます![]()
なんとか頑張ってます!
ついに浜松城へ到着![]()
紅葉は全然でしたが晴天に恵まれとても綺麗でした![]()
なかなか揃わなくて撮影に苦戦![]()
今度はマロンが![]()
ま〜なんとか撮れたけどシイナちょい切れてしまった![]()
今度こそと思ったらチーンって感じになっちゃいました。
なかなかの距離を歩いて疲れましたがとても気持ちが良くいいもの見れて大満足です![]()
シイナもマロンも頑張って歩いてくれました![]()
以前全国ネットで放映された浜松駅からタイムスリップして遠州鉄道ではなく、今は無き光明電気鉄道に乗ったのでは?っという説がありました。
途中、きさらぎ駅という駅名が出てきましたが地元の駅では存在しないので、さぎのみや駅ではないか?匂坂駅ではないか?という名が出てきたので光明電気鉄道ではないか?っていう都市伝説のような話がありました。
光明電気鉄道は1923年〜1939年まで走ってました。
次は光明電気鉄道跡へ行ってみようかな〜
まだまだ地元付近でも行ってない場所がたくさんあります。
今回、奥山線跡に来てちょっとしたタイムスリップを味わえて良かったです☆彡

































