昨日は義父母の定期確認のため函館まで日帰り往復500Km。義父母と一緒にどこかで昼食をとれるように出発は朝6時。

義父母宅に着き、ラーメン屋さんととんかつ屋さんのどちらがいいか尋ねると、予想通りとんかつ屋がいいと答えた義父。店に着くとその義父は、とんかつ定食に加えて生ビールも注文!なんでもいいという義母にはハンバーグ定食を、連れと長女はそれぞれとんかつ定食とヒレカツ定食を。自分はあまり目にしないナポリタンのスパカツ。実はこれが食べてみたくてこの店をセレクトしておいた自分(笑)

食事をしながら「俺もすっかり歳をとった」と語る義父だったけど、いやいや、ジョッキでビール飲んで、とんかつ定食まで完食する90歳はそうそういないから。ちなみに義母もハンバーグ完食。どちらもまだまだ身体は元気で安心。



で、義父母宅の前には、この春に義父母とウエディング姿の長女との写真を撮っていただいた「あらいあん」さんの写真展を観るため、大沼高原にある大沼国際セミナーハウスへ。


人生初めての写真展に感動しながらも、それ以上に、案内のチラシに書かれている「好きに理由はいらないけど 好きを続けてきた意味は ここにあるのかもしれない」の言葉に心を鷲掴みにされる。こんなことを言えるだけ好きなものがあるってなんか素敵。




自分がロックを聴き続けてきた意味はどこにある?というどうでもいい話は横に置いといて、今週もぼちぼち始めることにしましょうか。




パンクロックの波とほぼ同時期に現れたテクノポップ。その中でもパンクに近い連中はニューウェイブにも括られたりして、東京ロッカーズ辺りのパンクバンドと一緒に語られることも多く見受けられた。確か、リザードやARBと一緒に出演したテレビ番組の金曜娯楽館(山城新伍が司会!)のニューウェイブ特集が彼らを初めて目にした瞬間だったはず。

その中の筆頭がプラスチックス、ヒカシュー、Pモデルで、テクノ御三家とも呼ばれていた。

プラスチックスはピコピコに立花ハジメのギター、そして無機質?な中西敏夫と佐藤チカのボイスで🎶COPY,COPY,あっちもこっちもコピーだらけ、オリジナリティなーい、なーい🎶などのシニカルな歌詞が絡み、見た目もちょっとオシャレでスタイリッシュな感じ。レコードジャケットもペパーミントグリーンを使ったりして、ポップな感じが好きだった。



ヒカシューは、1964年の東京オリンピック開会式における日本選手団が身につけていた赤と白の制服姿で「二十世紀の終わりに」を演奏する姿と、巻上公一から放たれる奇妙なオーラがなんとも衝撃的だった。



そしてPモデルは、プログレバンドのマンドレイクを母体に平沢進(Vo・Gt)、秋山勝彦(Ba)、田中靖美(Key)、田井中貞利(Dr)の4人で結成されたバンド。結成後数ヶ月でメジャーデビューを果たしていることから、前身バンドの頃からその実力は高く評価されていたのだろう。

自分が彼らのアルバムを初めて買ったのは、ファーストではなくセカンドアルバムの「ランドセル」。

クラシックチックなオープニングの「オハヨウ」から一転する「ダイジョブ」への流れがこのアルバムの個人的真骨頂かも。

このアルバムで聴くことができる曲群は、サウンド、歌詞ともにどれもコミカルとシリアスが渾然一体となっていて、そして最後にオチがある。

その中にあって、なんとも独特な世界観があったラスト曲「地球儀」は、ある意味phewの「終曲」にも似た、最低限の音と語るような歌による名演。


↓終曲の方を


このアルバムまでの彼らはパフォーマンスを含め、パンクと言い切っていいほどに突んがっていたと言っていいだろう。それは先の金曜娯楽館での演奏を観てもわかっていただけるはず。


その後、バンドを脱退した秋山勝彦がリザードのモモヨと「無限会社(THE UNLIMITED DREAM COMPANY」というユニットを結成したり、HERE IS EDENというバンドでイカすバンド天国に出演してたのも印象的。



テクノポップと呼ばれることはなくなった今でも、ヒカシューとP-モデル(核P-モデル)は活動を続けているのは、あの頃には想像もできなかったことだが、それは好きを続けてきた結果なのだろう。


今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。