60歳を迎えて手続き上一旦退職となったものの、休暇もなく翌日から同じ役割のまま(当然、賃金は下がって)再雇用となり仕事は続けているが、どうにもモチベーションが上がらない。というか、仕事が億劫だったり、流されるような判断になったり。

久しぶりに手を取った新書の「西部劇を見て男を学んだ」の冒頭には、「男は引き際が大切である」と記されていた。正にその通りで、やはり自分も引き際というものを考える時期に差し当たっているのだろう。

モチベーションアップだとかを考えるより、自分の引き際を考えるためにも、男の引き際が描かれている西部劇として紹介されていた「シェーン」、「昼下がりの決闘」、「黄色いリボン」でも再視聴しようかなどと思いながら休日を過ごしている。

というどうでもいい話は横に置いておいて、今週もぼちぼち始めることにしましょうか。




ここのところ、もう10年近く書棚に仕舞いっぱなしの「虹を見たかい?」というタイトルの書籍が気になって仕方がなかった。元ゼルダのリーダーでベーシストの小嶋さちほが、夫のどんとが亡くなった後に残された家族がどのように再生の旅をしてきたかを語ったものだ。


ゼルダは東京ロッカーズの流れを汲む女性4名のバンドであることは多くの方がご存知だろう。リザード・アーミーの自分としては、リザードと関わりが深かったバンドということで気になるどころではないバンドだった。というか、当時、小嶋さちほの見た目が好みであったこともあったりして。

彼女たちのインディーズでのデビューシングルの存在を知ったときには、すでに高値で取り引きされており、とても手が出せるシロモノではなかった。B面の「ソナタ815」は、情念がどうしたとか、ネオダダイズムだとかと評されていたようだが、これを録音したモモヨによると、これは観賞用ではなくサウンドの研究素材としての保存用としたもので、これがリリースされたのは本意ではなかったとのこと。

ほどなくバンドはメジャーでのデビューアルバム「ZELDA」をリリース。

リザードのモモヨがプロデュースを担当したことに加え、モモヨが作詞・作曲した曲が3曲も収録されているってこともあり、発売日にレコード店で手に入れて、何度も繰り返して聴いたお気に入りの一枚だったが、随分後にモモヨの手による3曲が収録された理由を知り、バンドがデビューするための裏事情に驚かされたものだ。


↓モモヨ作。バックでモモヨがギター弾いてます


セカンドアルバム「カルナヴァル」ではプロデュースがムーン・ライダースの白井良明に変わり、リザード・アーミーの自分はかなりがっかりしたが、そんなこととは別に、アルバムの方は前作よりポップさが増して、かなり聴きやすくなった印象だった。


続くサードアルバム「空色帽子の日」はパンク、ニューウェイヴ的な感じとポップな感じ?がいい感じにミックスされて、所謂インディーズ感がなくなり初期ゼルダの到達点となった佳作だと考えている。


↓当時、ミュートマでよく流されていました。


しかしながら、自分が彼女たちのレコードをリアルタイムで購入したのは、このアルバムまで。メジャーバンドとして徐々に変化していくサウンドが自分が嗜好するものと違ってきたということもあったのだろうが、多分、この辺りでモモヨの自伝的小説「蜥蜴の迷宮」が発刊され、モモヨと彼女たちに起きた出来事を知ったことが大きかったのかも。今となっては、そんなことで好きだったバンドを聴かなくなるなんて自分も幼かったなぁなんて思ったりもするが、その後、彼女たちのサウンドがワールドミュージックやダンスミュージックな方面に変わっていったことを考えれば、彼女らの活動から距離を置くいいタイミングだったのかも。


さて、小嶋さちほ著の「虹を見たかい?」だが、冒頭に書いたように、夫のどんとが亡くなった後に残された家族がどのように再生の旅をしてきたかを語ったもので、ゼルダの活動期については一切記されていないのでゼルダファンにお勧めはできない。加えて、帯の背に「魂の再生の物語」とある通り、かなりスピリチュアルな内容となっているため、ゼルダ解散後の彼女の音楽活動を追ってきた方やどんとファン、スピリチュアル方面が好きな方以外は読み進めるのがちょっと大変かも。って、自分はまぁまぁ楽しんで読みましたが(笑)

今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。