この火曜日に3月末での定年退職の発令があった。と言ってもその末日の最終日には残業もするし、4月からも普通に同じ席で同じ役職のまま仕事を続けるわけで、退職と言ってもなんだかピンとこない。雇用形態を変えて体よく賃金を低く抑えるけど、今までと同じように仕事をしてねということなのは織り込み済だが、まぁ、60歳を過ぎてもそれなりの賃金で同じ職場で働けるのは有難いことだと感謝しなければ。


退職と言ってもリフレッシュする間もなく継続して仕事を続けるのなら、せめてこの一週間は目に付いたレコード、CDは買っちゃおうと実際に買いまくったのは(と言ってもすべて中古だけど)、42年間働いたご褒美代わりということで。

先日レコードで買ったのに格安の紙ジャケCDを見つけて・・・


近所のブックオフがCD半額セールで・・・


半額じゃないレコードもついつい


会社近くの駅ビルがポイント5倍ってことで


日を改めて近所のブックオフ半額セールに・・・


給与が減ることを考えると、4月からは週末のCD&レコード掘りも少し自制しないといけないのはわかっているが、なかなかやめられそうにない思いとどう向き合おうか。というどうでもいい話は横に置いといて、今週もぼちぼち始めることにしましょうか。



この3月末で一旦節目を迎える会社人生が始まったのが1983年。和暦でいうと昭和58年の4月、同年代の多くは大学で青春を謳歌しようとしている18歳の若さで就職したのは、勉強が本当に苦手だったからにほかならない。


で、その1983年に自分がリアルタイムで聴いていて42年後の2025年の現在でも活動を続けて、かつ今でも自分が追いかけているバンドがザ・モッズ。今日は42年間をモッズの活動とともに振り返ってみることに。


1983年。

社会人生活を始めてすぐの4月21日にリリースされたのがミニ・アルバム「GANG ROCKER」。


前作の「LOOK OUT」の洗練されたサウンドに少しだけ不満を感じていた小僧にとって、待ってましたと唸らせるほどの強力なロックをかましてくれた一枚で、モリヤン自身もこの時にフルアルバムとして制作していたら・・・と悔やむほどに最もパンキッシュな仕上がり。

そのモリヤンの思いは26年後の2009年に「Gang Rocker…If」で結実した。

同じ4月にパール・ハーバーらとのFILEツアーが地元の函館を皮切りに始まった。丁度GWに重なり、180㎞離れた町に移り住んでから1か月もしないうちに初の里帰りを兼ねてこのツアーに参戦したのだ。


この年は「激しい雨が」のスマッシュヒット、日立マクセルのカセットテープのCMに出演、目黒鹿鳴館からの中継でゴールデンタイムの歌番組「ザ・トップテン」に出演と、ザ・モッズが一気にメジャーに躍り出た年でもあった。



24歳の若さで結婚をした1988年。

モッズは「EASY COME EASY GO」をリリース。

前作の「YUM-YUM GIMME SOME」もそうだが、売れっ子となってハードスケジュールに疲れたモリヤンが原点回帰とばかりにオールドタイプのR&R、R&Bをベースにしたロック・ミューシックを展開。パンキッシュなサウンドに引き寄せられてモッズの虜になった自分は、この頃のモッズにちょっと物足りなさを感じてた頃だ。モリヤンは髪を降ろして長髪にしてたし。



初めての転勤でようやく田舎町から中都市へ移り住んだ1989年。

中国での天安門事件のニュースに衝撃を受けたモリヤンがその場で伸び切った髪をバッサリと切った話は有名。その衝撃を丸ごとパッケージしたアルバム「NAPALM ROCK」がリリースされたのが12月21日。

スタイル、サウンドともにバンキッシュに回帰したモッズに狂喜したのは言うまでもない。1曲目の「NAPALM ROCK」、2曲目の「S.O.S」、3曲目の「HEY!!TRAVIS」までの流れは鳥肌モノ。


長女が生まれた1992年。

サードアルバム「LOOK OUT」以来、再び土屋正巳をプロデューサーに迎えて制作されたアルバム「F.A.B.」に若干の不安を感じていた自分だったがそれは杞憂であった。

自分の中でモッズのベストテンに入る名曲「LONG WAY」、あまりにも切なすぎるラブソング「ロメオとジュリエット」。前作の「叛-REBEL」まで続いた攻撃的なサウンドとは一味も二味も違った多彩なサウンドは、土屋正巳とタッグを組んだからこそだろう。


長男が生まれた1995年。

デビューから所属していたEPICからアンティノスへ移籍。久しぶりのロンドン・レコ―ディングで制作された「KILBURN BRATS」は、心機一転ということも影響したのかポジティブさが感じられる一枚。

現在に続くライブの定番「他に何が」もいいが、オープニングナンバーの「LESS THAN ZERO」とモノクロのアルバムジャケットがジム・ジャームッシュの世界観に重なるのは自分だけ?


9年ぶりの転勤で大都市札幌へ移ったのが1998年。

異動で出向した会社が8か月でまさかの清算となる出来事に、子育て真っ盛り、家の購入なんかも重なって、あれだけ好きだったロックも聴く暇がなくなってきた自分にとって、瞼にリング、腕にタトゥで相変わらずロックなモリヤンの姿がどうにも遠い異世界の人に感じられ始め、徐々にモッズの作品、活動から距離を取り出したのがこの頃だった。


モッズと共に過ごしてきた20世紀。その20世紀の終りを迎えるのに合わせてモッズとの繋がりも終わりを告げようとしてるのか。続きはこの次に・・・。


今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。