ロックを聴き始めた中学生時代は、並行してニュー・ミュージックと呼ばれるジャンルの音楽も聴いていた。

1976年頃から一般的に浸透したらしいニュー・ミュージックは若干曖昧なジャンルであって、フォーク・ソング、ポップス、ロックまで広範囲に渡るミュージシャンやバンドが、このニュー・ミュージックの枠の中で語られていたが、自分の中ではフォーク・ソング、シンガーソング・ライターの系譜で語られるミュージシャンやバンド、その中でも1976年以降1970年代末までのものをこのカテゴリーで捉えている。

まぁ、自分の中学時代までに出会ったものを括っているだけだが、ジャンルなんてものは、そもそも自分の中でのカテゴリとして捉えてればいいだけのもんだし。


音楽の聴き始めからロック方面に流れた自分がニュー・ミュージックと呼ばれていたジャンルの音楽を聴いていたほとんどのものが三つ上の兄のコレクションのもので、自から積極的に手に入れたのはほんの僅か。

そんな中でもコンサートに行くほどに入れ込んでいたのは地元北海道を地盤に活動していた頃の松山千春。


デビュー当初から北海道では絶大な人気を誇っていた松山千春だが、季節の中でのヒットで全国区の人気となったのを契機に、ってわけではないがその頃から徐々に離れていくことに。シングルだと「窓」、アルバムだと「空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように」を最後に彼の音楽からは離れていくことになったのは、単純に高校に上がってパンク方面に流れたことから、彼の音楽がパンクとは対極の位置のモノ(とその頃は勘違いしてました)と捉えるようになったから。アナーキーも「季節の外で」という曲であからさまにアンチ千春を謳っていたし。




北海道出身で、しかも唄われる内容とはかけ離れたラジオでの軽妙な語り口というところまで千春と一緒だったのが中島みゆきだが、この中島みゆきに手を出さなかったのは、単純に兄のコレクションに彼女の作品がなかったから。

大ヒット曲「わかれうた」のジャケット写真は、最近このレコードを手に入れた時に初めて目にしたくらいで、それだけ彼女の音楽には触れてこなかったという・・・。 



飛んでイスタンブールのヒットで庄野真代の虜になったのは、曲が良かったのはもちろんだが、かなり年上の庄野真代のルックスにノックアウトされたから。

勇んで買ったアルバム「マスカレード」に「飛んでイスタンブール」が収録されていなかったのと、ジャケットに映る彼女がカーリーヘアーですっかり雰囲気が変わっていてがっかりしたという思い出も。

それでもこのアルバムは今でもたまに聴きたくなるほどに聴き込んだ一枚で、中学の卒業記念に彼女のコンサートにも行ったほど。多分これを最後にニュー・ミュージックと呼ばれる音楽から遠ざかったはず。



庄野真代と同じ女性シンガーの丸山圭子の「どうぞこのまま」は歌もそうだけど彼女自身のアンニュイな雰囲気が大人の女性への憧れを一気に高めさせてくれたのだった。

って、どんだけ年上好きだったのか・・・。



兄がヤマハのフォークギターを買って、それまで使っていたガットギターをお下がりとして譲り受けて初めて練習したのは、イルカの「なごり雪」か井上陽水の「夢の中へ」。


そのイルカの「雨の物語」は失恋の切なさがメロディと相まって、胸にグッときて好きだった。

中学生になり、それなりに恋なんかしちゃったりし出した自分に、ニュー・ミュージックで歌われる失恋の曲がリアルに響いてしまったのだろう。


大失恋をした中二の時なんか、毎晩兄のコレクションからふきのとうの「風来坊」を引っ張り出して喪失感に追い打ちをかけていたのは、今となっては自分ながらになんとも可愛らしかったことか。




大ヒットしたオフコースの「さよなら」も兄のコレクションにあったもの。

別れの歌でも胸に全然響いてこなかったのは、単純に好みの問題か。


バンド形態であったオフコースをロックバンドとして認識したことはないが、同じようなバンドのチューリップにロックの流れを感じたのは彼らのサウンドにビートルズの影響を感じるほどにはロックを知ってはいなかったが。

ただ、チューリップのヒット曲「虹とスニーカーの頃」はロックというより、やはりニュー・ミュージックの流れを汲んだヒット曲として捉えているのは、自分のどうでもいい拘り。



かぐや姫解散後に山田パンダがリリースしたソロアルバム「ラヴリィ・ハット・ショップ」が少し洒落た音楽に聴こえたのは、かぐや姫とは違ったポップさと、歌詞の中に登場する原宿に都会への憧れを抱いたからかも。

これも兄のコレクションの中の一枚だったが、何年か前に妙に聴きなおしたくなってネットで探して手に入れました。



結局、自分が聴いてきたニュー・ミュージックと呼ばれた音楽は、兄のコレクションにあったものがほとんどで、兄が就職で家を離れた後はすっかり聴かなくなってしまったのは、兄がいなくなったというのはもちろんだが、なんといってもパンクの方に自分の音楽的、精神的な嗜好が移っていったのが大きかった。


そんな兄との距離感がどんどん離れていってしまったのは、長い間、兄の方に問題があると思っていたが、パンクロックの流れを汲む音楽を聴くようになって自分の物事に対する考え方が大きく変わったからであって、兄の方が大人になってこちら側から離れていったのではなかったことに気づいた時には、もうすっかり埋まりようがないほどに兄弟二人の間は離れてしまっていたのだが。



今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。