ロックの日(というのをさっき気がつきました)の今日は、Rock Music In My Lifeの5回目を。



ベイ・シティ・ローラーズでロックの扉を開いた少年は、徐々にアイドル・ロック以外のモノにも手を出していくことになる。と言っても、ロック初心者が愛読するロック・ショウやミュージック・ライフなんかの雑誌でよく取り上げられていたバンドの作品が中心で、中二の頃からクラッシュのロンドン・コーリングに出会う高1までが、雑多に色んなロックに手を出してた期間だったような気がする。



3つ上の兄のコレクションにあったキッスの「地獄の狂獣キッス・ライブ」とピーター・フランプトンの「カムズ・アライブ」が、ライブ盤であるにも関わらず大ヒットしたアルバムってことを知り、ちょくちょく聴かせてもらうことになったあたりから徐々にローラーズ以外にも手を出すように。



キッスはもう一枚兄のコレクションにあった「地獄の軍団」の方がピンとくるものがあったし、カムズアライブに至っては「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」以外の曲は全然響いてこなくて、なんでこれが全世界で1,000万枚超えのヒットになってるのかさっぱりわからなかった。

人が喋ってるように聞こえるエフェクターのトーキング・モジュレータを知ったのが、この「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」だったけど。



そんなにピんとくるものがなかったライブ盤だったにも関わず、中二のガキが手を出したのが、ランナウェイズの「ライブ・イン・ジャパン」。

今でこそパンクの系譜で語られることも多い彼女たちだが、当時はアイドルロックの流れ、しかも悩殺ファッションに目が眩んで手を出したのが正直なところ。案の定、ヒット曲のチェリー・ボム以外はなんだかなーって感じ。今聞くとそんなことないのだが、まだまだベイ・シティ・ローラーズのポップさが恋しかったのかも。



ライブ盤といえば、その後チープ・トリックのat武道館も輸入盤で手に入れたが、初めての輸入盤の独特な匂いがどうにも苦手で早々に友人に売ってしまったのだが、あの当時住んでいた函館のどの店に輸入盤なんか売っていたのか、もしかすると友人から売ってもらったものだったのか、45年以上過ぎてしまった今となっては記憶を蘇らせることも不可能に近い。


同じくアイドルロックからの流れで手を出したのがジャパンのデビューシングルで、高2の兄から修学旅行のお土産に何がいいかと聞かれ、ジャパンのシングルレコード「奇しい絆」をリクエスト。修学旅行土産にそんなものを頼む自分に呆れるが、当時は真剣そのもの。修学旅行でレコード屋に寄るわけもない兄は、それじゃあとレコード代を渡してくれた。

アイドル風のルックスで日本の女子から高い支持を受けていたジャパン。タイトル通り奇しげに聴こえたロック・サウンドは、明らかにアイドル・ロックとは一線を画すもの。

すっかり気に入りデビューアルバムの「果てしなき反抗」、続く「苦悩の旋律」も手に入れることになる。世間的にはこの後のクワイエット・ライフ以降が評価されているが、自分にとってジャパンといえば初期のこの二枚。邦題がイカしてました。



友人とのレコード交換が頻繁だったのもこの頃で、それで手に入れたのがトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの「破壊」。確かこれも輸入盤だったような。

オープニングナンバー「逃亡者」のギターとキーボードが上手くマッチしたどこか影を感じるサウンドと、ジャケットでトムのバックに映る赤とピンクの中間カラーが妙に印象深かった。



名うてのスタジオ・ミュージシャンが結成したということに興味をそそられたのはトト。

若き剣士をイメージしたジャケットがカッコよく見えてセカンドアルバムの「ハイドラ」を当時五稜郭にあったホリタというミニデパートのレコードコーナーで買ってもらったという、どうでもいい記憶だけが残っている。



ジャケットに映るビリー叔母さんのプロモーション来日が大きな話題となったスーパートランプのブレックファスト・イン・アメリカは、秋の夜長に聴くと結構センチな気分にさせてくれるアルバム。


当時は誰かに録音してもらったカセット・テープを毎晩繰り返し聴いていた。今でも秋になると聞きたくなるので、何年か前に特価のCDを買いました。



ギターを手にした少年が一度は挑戦する名曲ホテル・カリフォルニア。にも関わらず、最初に買ったイーグルスのアルバムは「ロング・ラン」。

前作ホテル・カリフォルニアの大ヒットで大々的なプロモーションとなっていて発売と同時に買ったのだろうが、そんなに何枚もレコードを買えなかった少年時代、毎晩繰り返し聴いていたこともあり、自分の中ではベスト・オブ・ザ・イーグルスはロックファンからの評価があまり芳しくないこのアルバム。


タイトル曲のロング・ランもいいが、新メンバーとして参加したベーシストのティモシーがボーカルをとる「言い出せなくて」がイチオシ。



当時のギター少年が挑戦する曲といえばレッド・ツェッペリンの天国の階段が鉄板だったが、ここでも自分が最初に買ったのはイン・スルー・ジ・アウト・ドア。

あのツェッペリンの新作ということに加えて、ジャケットが6種類あって、買って帰って開けてみるまでどのジャケットに当たるかわからないなんて心憎い仕掛けに惹かれたのもあったはず。

水に濡らすと色が浮き出るのが、ジャケットなのか、ジャケットを隠す外包なのかがわからず、外包とジャケット両方水に濡らし、どちらも色が出てこないとなったところで、インナースリーブにあるモノクロのイラストがそれだと気付いたときには後の祭り。外包はすっかり水でクシャクシャになっていた。



って、曲よりそっちの思い出かい!ってところだが、やはりリアルタイムで聴いた最初の一枚ということで、ツェッペリンと言えば自分の中ではこのアルバム。となってしまうのは、ツェッペリンフリークからは避難の嵐となるのだろう。



他にもスティクス、フォリナー、クイーン等々、商業ロック、スタジアムロックなどと揶揄されたメジャーどころをよく聴いていた中学時代。今みたいに手あたり次第レコードを買えたり、サブスクで世界中のほとんどの曲を聴き倒せる時代ではなかったあの頃、手を出せるのはどうしても有名バンドになってしまうのは仕方がなかった。

で、ロックにのめり込んでいくほどに学校の成績は落ちていく一方だったが、それは決してロックが悪かったわけではなく、単純に自分の勉強嫌いな資質に拍車がかかっただけのこと。でも、あの頃のロック・スタディのお陰で、今も愉しく暮らせているのだから結果オーライ。


今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。