ゴールデンウイーク真っただ中であるが、いつもと変わらぬ週末が過ぎていく。桜の満開とともに白樺花粉がピークを迎えるのもいつもの年と一緒で、朝から目の痒みとくしゃみ鼻水で気分がすぐれない。と、落ち込んでいても仕方ないので、ここはいつもの週末どおりにブログを更新。



もう何度もこのブログで綴っていることだが、ロックにのめり込むきっかけはベイ・シティ・ローラーズ。自分の音楽史、ロック史を振り返る時、避けては通れぬバンドということで、今回はこのベイ・シティ・ローラーズと、その界隈のアイドルロックで括られるバンドなんかを。



ベイ・シティ・ローラーズを知ったのは、前回触れたずうとるびからの流れではなく、隣に住んでた同じ歳の幼馴染の3つ上のお兄さんからたまたまもらったサタデーナイトのシングルレコードが始まりだった。

https://youtu.be/HfS_QKGjwzw?si=1vbp-sjXEX7fXO0Q


それが1975年のことだったか、1976年のことだったかは定かではないが、もらったシングルレコードはB面にベイ・シティ・ローラーズのテーマが収録された1975年リリースのもの(のはず)。


だが、今、手元に残っているのは翌年の1976年にバイ・バイ・ベイビーとカップリングされたもの。


隣家のお兄さんにもらったシングルレコードからどんな流れでベイ・シティ・ローラーズにどっぷりとハマったのかの記憶が曖昧だが、1976年12月に発売されてしばらくはラジオから毎日流れるくらいにはヒットしたロックン・ローラーとイエスタデイズ・ヒーローの両A面のシングルレコードを聴きまくっていたし

https://youtu.be/xU2hrPo-U1M?si=cUpT1_vznZCAgYES


小6の時にに転校してきた同級生(男子)の家で、ロックン・ロール・ラブレターのシングルレコードを見せてもらった時にかなり羨ましく感じた記憶があることから、小6の後半にはすでにローラー・マニアとなっていたのは間違いないのだが、そんなガキの頃なんて全然お小遣いなんてないもんだから手に入れられるレコードはどんなに頑張ってもシングルEP盤。やっとで手に入れた数枚のシングルレコードをそれこそ擦り切れるくらい毎日飽きもせず繰り返し聴いていた。






初めて買った彼らのアルバムはロックン・ロール・ラブレターが一曲目に収められたニュー・ベストというベスト盤だったが、なぜかこれは一度もCD化されていない。


タータン・ハリケーンなんて言葉が生まれたほどにティーンエージャーの、特に女子からの人気は高く、コンサートではファンからの歓声で演奏の音はかき消され、感極まったファンからは失神者が続出なんてところは、まだライブ活動を行っていた頃のビートルズの初期に似ているといえば似ていて、実際、第二のビートルズ登場!なんて騒がれ方もしていたが、ロックファンから冷ややかな目で見られていたことは知っていたし、少しロックをかじった風の同級生からは「男がベイ・シティ・ローラーズなんか聴いてて恥ずかしくない?」なんてことを言われたことも一度や二度じゃない。それでも、そんなことは気にしなかったのだから、当時から好きなものは好きということだけは一貫していたようだ。


初めてリアルタイムで買った彼らのオリジナルアルバムは恋のゲーム。加入したばかりのパット・マッグリンのまさかの脱退と、それまでのティーンエージャー向けのポップなサウンドからウエストコート風なロックサウンドに転換したことから、その人気に陰りが出始めた頃。

イエスタデイズ・ヒーローで「昨日のヒーローになんてなりたくない」と歌ってから、まだ1年も経っていなかった。

https://youtu.be/ICOKR2--u7U?si=e83DObuS7atYRwAS



それでも本格的なロックに転向しようとしていたこの時期の彼らのサウンドは、徐々にロックの世界に浸かり始めた自分には案外しっくりきて、今だにローラズのイチオシアルバムと言えばこのアルバムを挙げるのは、多くのローラーズファンとは違うのかもしれない。


その後コツコツと彼らのアルバムを後追いで

買い集めているさなかに、レスリー加入前のボーカル、ノビー・クラークが歌うサタデー・ナイトを収録した幻の2枚組ベストアルバム「青春の記念碑」が再発された時、3,600円もするレコードを予約して発売日に買えた理由が思い出せない…。

https://youtu.be/XPFYiaF2Pik?si=JoPuav96FFe8Vo-W



ベイ・シティ・ローラーズが好きになった流れで購読していたのはロック・ショウ。

ミュージック・ライフより若干低年齢層向けの構成だったこの雑誌で取り上げられるのはアイドルロックグループが多いのは必然で、それらのレコードを買える余裕がないほどに自分も低年齢ではあり、なんとか手に入れられたのはベイ・シティ・ローラーズ脱退組のイアン・ミッチェルが結成したロゼッタ・ストーンのシングルと、パット・マッグリンが結成したスコッティーズくらい。(パットのは近所に住む同級生が持っていたものを、自分のチープトリックのat武道館と交換して手に入れたはず)



他に気になっていたフリント・ロックやバスター、デッド・エンド・キッズはもちろんのこと、レスリーのお兄さんのジャミー・ワイルドやローラーズを脱退した(させられた?)バンド創設者アラン・ロングミュアーなんかのシングルレコードでさえ到底買うことはできず、ラジオのエアチェック以外に彼らの音に触れる手立てはなかった。(当時はサブスクも、ましてやレンタル店さえなかったのだから・・)



ちなみにこのロック・ショウには、若かりし頃の大貫憲章氏やARBなんかもよく登場してました。


50歳を過ぎて少しだけ生活にゆとりができたここ数年、ようやくあの頃聴いてみたかったバンドやアイドルのレコードを見つけて買うことができ、パンク前のロックに出会った頃のなんだかウキウキした気分を改めて感じているところ。




どこでどう間違ったのか知らないが、今ではロックだパンクだとしたり顔の自分であるが、そのきっかけは所謂アイドル・ロックのカテゴリで括られている(後年グラムロックでカテゴライズされていることもあるが)ベイ・シティ・ローラーズだったのは紛れもない事実だし、それを恥ずかしいと思ったこともなく、彼らの音楽に出会ったお陰で50年近く経った今でも、こうやってロックとともに暮らす日々を送れているのだから、ベイ・シティ・ローラーズを代表とするアイドルロックを入り口にロックの世界に飛び込んだのは間違いではなかったのだろう。



これからも折に触れ、これらのバンドもパンクバンドと同様に聴き続けていくことだろうし、そうありたいものだ。


それにしても他のブロガーさんが書かれているとおり、今週はYouTubeの画像・音源がアップできないようだ。ということで、残念だがローラーズ関連の動画はまたの機会に。



今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。