音楽を日常的に聴くようになって早50年近くが経つが、当然ながら当初からロックやパンクに傾倒しているはずもなく。


今年還暦を迎えるからというわけではないが、そんな自分の50年に渡るさまざまな音楽との出会い、ルーツを紐解いていってみるのもいいかなということで、気まぐれに自分の音楽史を振り返ってみることに。


ブログを始めてすぐの頃、そんな音楽の聴き始めについて綴ったことがあるが、そこに記したことがホントに聴き始めの最初期のことだったかは定かでない。というか、今回、改めて思い出を紐解いていってみたら、その時に書いた我が家にステレオがやってきた年も、最初に買ったLP(ずうとるびのファーストライブ)も間違いだったようだ。


今、こうやって振り返ってみると一番最初のレコードの記憶は、板東英二が歌った中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」。


野球好きの小学生といえども決してドラゴンズファンではなかったが、中日が巨人の10連覇を阻止して優勝した1974年が明けての冬休み、この曲の歌詞♪一番高木が塁に出て、二番谷木が送りバンド、三番井上タイムリー、四マーチンホームラン♪と、今でもその歌詞を覚えてるくらいに聴きまくったことが、選手のサインが並んだジャケットともに蘇ってきた。



ずうとるびのファーストライブが1975年9月のリリースということだから、その前にこの燃えよドラゴンズのを方を買ったことになるのだろう。(こういう時、Wikipediaってホント便利)


こうやって振り返ってみると、多分このレコードを買ったのは1975年1月の冬休み、当時住んでいた函館から200㎞ほど離れた登別市のいとこの家に泊りがけで遊びに行ったときに、あのねのねの「いつまでもあると思うな人気と仕事」というラジオ番組を模した風のDJ古典盤と銘打ったLPと一緒に買ったような気がする。

【画像拝借】

そうそう、いとこの家で過ごした約一週間、燃えよドラゴンズはもちろんだが、このあのねのねのLPを同じ歳のいとこと何十回も繰り返し聴いて笑い転げてたんだ。

で、その時一緒だった3つ上の兄貴(その時兄貴は中一かぁ)は、ポール・マッカートニー&ウイングスのバンド・オン・ザ・ランのLPを買ったはずで、その後函館の自宅に戻ってからもこのバンド・オン・ザ・ランをよく聴かされたのが、もしかするとロックの原初体験か。いや、その前すでに兄貴はミート・ザ・ビートルズかオールディーズを買っていて、それらを聞いてたかも。

いずれにせよ、今でもポールのアルバムといえばバンド・オン・ザ・ランが一番ってくらいだから、この頃の兄貴の影響が大きかったのは間違いないだろう。



それでも小4のガキにはロックなんかより、あのねのねのお笑いや、ロックとは大きくかけ離れて燃えよドラゴンズの歌の方が響いていたのは間違いない。

この後、ずうとるびのファーストライブを手に入れるまでの約1年弱は、音楽より野球や漫画、缶蹴り鬼に夢中になっていた、ごくごく普通の昭和の小学生だったはずで、ロックにのめり込むきっかけになったベイ・シティ・ローラーズとの出会いまでには、あと2年ほど要することになるのである。

ちなみにずうとるびのファーストライブでは新井康弘がサフラゲットシティをカバーしてて、この時初めてデヴィッド・ボウイの名を知ることになる。





今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。