何のために生きてますか?
突然、こんなことを問いかけられたらなんと答えるか。
先日、晩酌をしながら録り溜めていた番組を観ていたら、こんな問いかけを街行く人々に投げかける番組があった。CMが入らないあの某テレビ局の番組だった。
後からそのテレビ局の公式HPを覗くとこの番組について「なんのために生きている?・・・この根源的な哲学的質問を全国の街頭で直撃インタビューすると意外な迷回答と刺さる名言が続々登場。街の本音を聞く感動の番組」と書かれている。
感動の番組と自ら語るのもどうかと思うが、自分は録画しているものを観ている間中、感動どころかずっと違和感を感じまくりだった。そもそもこの質問自体に引っかかるところがあったし、最後までこの番組が意図するところがどうにも掴みきれずにいたということが違和感を誘ったのかも。
生きる糧は?とか、生きていて楽しいこと、辛いことは?とか、あなたの夢は?とか、生きる上で大切にしていることは?とかとかだったら違和感なんて感じなかったのかも知れないが、何のために生きてますか?なんて質問するんだったら、その質問を投げかける目的や、その答えを集めてどうしたいのかを示すべきではないのか?
番組の最後までそんなことが頭の中を駆け巡っていた。
何よりも、質問を投げかける相手を恣意的に選別しているとしか思えないほど、それこそとにかく迷言をなんとか引き出そうとしているのではないかと思わずにいられないほどに、所謂普通の主婦やサラリーマン、商店街の人々、そんな日々変わることのない極々普通の暮らしを続ける市井の人々が一向に登場せずに、最後にはなんだか嫌悪感しか残らず、酔っているにも関わらず、思わずスマホのメモ帳に「普通の主婦とかサラリーマンに聞け―!」と打ってしまったほどだ。
せめてもの救いは、いかにも珍回答欲しさに選ばれたであろうモヒカン青年の回答が「別に特に何も。生きていけるとこまで生きるだけ」ってことだったことか。
そうそれでいいんだ。
目的も知らされず、知らず知らずに(多分ね)生まれてきたんだから、生きてる理由なんかどうでもいい。ただ、生きることを全うすればそれでいい。
酒を飲むために生きてるわけではなく、ましてやロックするために生きてるわけではない。
生きるために酒が必要で、生きるためにロックするだけ。
生きて、生きて、生きまくれ!
それにしても久しぶりに腹の底から怒りを感じた30分。それなら途中で観るのを止めればいいだろうと言われそうだが、最後の最後にこの番組の意図が明かされるのかもとの淡い期待があったのかもしれないし、自分に沸き起こった腹の底の怒りの真実をしっかり受け止めるためだったのかもしれない。
基本的にはこのブログでは批判的な内容は避け、自分がよいと感じたものを紹介していこうと考えているのだが、今回はどうにもモヤモヤ感が収まらずついつい筆を進めてしまったということでご容赦を。
もしかするとこの番組で感動を覚えた方もいるかも知れない。いや、もしかしたらそっち側の意見をお持ちになった方々のほうが多いのかもしれないが、それはそれで全然よし。
感じ方は人それぞれ。
自分とは真逆に感じた方も、この番組も否定はしない。ただ、自分にとっては納得できない内容だったってだけのこと。
それならわざわざそんなことを書く必要ないだろうという声が聞こえてきそうだが、これはこれで正直な59歳の現在の自分。そんな自分を記録として残しておくのも悪くはないだろう。
この番組は哲学的インタビューの第一回目ということだから、第二回目もあるのだろう。次はどんな質問内容になるのか、制作者によって番組のトーンが変わるのか、ここはしっかり第二回目も見届けておこう。
って、わざわざ怒りを感じた番組をもう一度見ようなんて、ひねくれた考えの自分に呆れるところだが、そんなことも愉しむのが生きてることでしょ?それが目的ではないけどね。
↓生きまくるといえばこの曲
今回はロックな話ではなかったけど、59歳を迎えた今日、ちょっとだけ生きることについて語ってもバチは当たらないでしょ⁈
今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。